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2015年5月25日月曜日

アシュターヴァクラ・ギーター「気づき」


身体は無
世界は無だ

これを完全に理解するとき
どうしてそれらを想像から生みだしつづけることができよう?
なぜなら、真我は
純粋な気づきに他ならないのだから

身体とその恐れ
天国と地獄、自由と束縛

すべてはただの作り話

気づきそのものである私に
何の関わりがあるというのか?

私は一なるものだけを見る

入ごみに
無人の地に

ならば、いったい何に私が執着するというのか?

私は身体ではなく
身体は私のものではない
私は分割されない気づきそのもの

ただ生きることへの渇望に
縛りつけられていただけ

私は果てしない海
想念が湧きあがると
意識の風が幾千もの世界という波を起こす


だが、風が止むと
商人は船とともに、全世界を巻きぞえにして
私という存在の底知れぬ海の中に沈みゆく

だが、ああ、なんと素晴らしい!

私は計り知れない深淵
すべての生きとし生けるものは
私の中にひとりでに現れ
たがいに戯れあい、衝突しあい
そして消えゆく

ーアシュターヴァクラ・ギーター 気づき

2015年5月9日土曜日

闇など存在しないことを知れ。


宇宙の一切の力は我々のものだ。

私たちは自分の手で自分の目をふさいで、暗いと言って泣いている。

自分の周りには闇など存在しないことを知れ。

両手を開けば、そこはもとからある光に満ちている。

闇は存在せず、弱さも存在しない。

弱いと言って泣くのは愚か者だ。

清らかになれないと言ってなくのは愚か者だ。

―ヴィヴェーカーナンダ


2015年5月4日月曜日

花にちなんで



だれがこの大地を征服するであろうか?
だれが閻魔の世界と神々とともなる
この世界とを征服するであろうか?
わざに巧みな人が花を摘むように、
善く説かれた真理のことばを
摘み集めるのはだれであろうか?

学びにつとめる人こそ、
この大地を征服し、
閻魔の世界と神々とともなる
この世界とを征服するであろう。
わざ巧みな人が花を摘むように、
学びにつとめる人々こそ
善く説かれた真理のことばを摘み取るであろう。

この身は泡沫のごとくであると知り、
かげろうのように
はかない本性のものであると、さとったならば、
悪魔の花の矢を断ち切って、
死王に見られないところへ行くであろう。

花を摘むのに夢中になっている人を
死がさらって行くように、
眠っている村を洪水が押し流していくように、
花を摘むのに夢中になっている人が
未だ望みを果たさないうちに、
死神がかれを征服する。

蜜蜂は(花の)色香を害わずに、
汁をとって、花から飛び去る。
聖者が、村に行くときは、そのようにせよ。

他人の過失を見るなかれ。
他人のした事としなかった事を見るな。
ただ自分のした事としなかったことだけを見よ。

うるわしく、あでやかに咲く花でも、
香りの無いものがあるように、
善く説かれたことばでも、
それを実行しない人には実りがない。

うず高い花を
集めて多くの華鬘(はなかざり)をつくるように、
人として生まれまた死ぬべきであるならば、
多くの善いことをなせ。

花の香りは
風に逆らっては進んで行かない。
栴檀(せんだん)もタガラの花も
ジャスミンもみんなそうである。
しかし徳のある人々の香りは、
風に逆らっても進んで行く。
徳のある人はすべての方向に薫る。

タガラ、栴檀の香りは微かであって、
大したことはない。
しかし徳行のある人々の
香りは最上であって、天の神々にもとどく。

徳行を完成し、
つとめはげんで生活し、
正しい智慧によって解脱した人々には、
悪魔も近づくによし無し。

大道に捨てられた塵芥(ちりあくた)の
山堆(やまずみ)の中から香しく麗しい蓮華が生ずるように。

塵芥にも似た
盲(めしい)た凡夫のあいだにあって、
正しくめざめた人(ブッダ)の弟子は
智慧をもって輝く。

―ダンマパダ


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