最新記事

2014年2月27日木曜日

マハー・シヴァラートリー

今日はシヴァラートリーです。
シヴァラートリーとは「シヴァの夜(ラートリー)または吉兆の夜」という意味です。シヴァラートリーは、毎月、満月から13日夜/14日目にあたります。しかし、特にパールグナ月(マーガ月となる地域もあります。2月~3月)のシヴァラートリーは、マハー・シヴァラートリーと呼ばれ、一年の内でもっとも神聖な夜として知られています。

シヴァ神

大脳の中の花弁は、千弁の蓮華。
霊性の師の部屋で、それが遥かな秘密の場所。
その蓮華に日輪の形で、至高のシヴァは存在し、唯一であって、
白色の千弁の蓮華は花開き、花芯にあって、そこにシヴァの光輪は輝き、
あなたがそこに上ると、シヴァ自身の姿となる。
そして純粋精神シヴァそのものと一つになる。

-ラーマクリシュナ パラマハンサ

オーム、
私は思考器官にあらず、知性や自我意識や心にあらず。
聴覚にあらず、味覚にあらず、嗅覚にあらず、視覚にあらず。 
虚空に非ず、地に非ず、火に非ず、水に非ず、風に非ず。
私は、純粋な意識と至福そのもの。
私はシヴァである、私はシヴァである。

私は生気に非ず、五風に非ず、七つの要素に非ず、五つの蓋被にあらず。
手に非ず、舌に非ず、生殖器官に非ず、排泄器官に非ず。
私は、純粋な知識と至福そのもの。
私はシヴァである、私はシヴァである。

私は、好き嫌いに非ず、貪欲、迷妄に非ず。
利己心を持つに非ず、自尊心を持つに非ず。
善行に非ず、救いに非ず、欲望に非ず、心の対象に非ず。
私は、純粋な知識と至福そのもの。
私は、シヴァである、私はシヴァである。

私は徳に非ず、罪に非ず、喜びに非ず、悲しみに非ず。
聖句に非ず、聖地に非ず、ヴェーダに非ず、供儀にあらず。
私は食べる行為に非ず、食べるものに非ず食物に非ず。
私は、純粋な知識と至福そのもの。
私は、シヴァである、私はシヴァである。

私には、死はなく、恐怖はなく、カーストの区別はなく。
父もなく、母もなく、生まれることもなく。
友もなく、仲間もなく、師匠もなく、弟子もない。
私は、純粋な意識と至福そのもの。
私は、シヴァである、私はシヴァである。

私は心象を超え、形を持たず、遍在者であり。
私は一切処にあって、感覚にとらわれず。
私は、知られうるものに非ず、解脱するものに非ず。
私は、純粋な知識と至福そのもの。 
私は、シヴァである、私はシヴァである。


-ラーマクリシュナ パラマハンサ

2014年2月22日土曜日

純粋の愛とは何か

「私の息子よ、君が私を観察しているときには、私も君を観察している。
 あることを知っているか。人びとは、霊性とは何か、ということを知らない。この世界で、彼らの大部分は、純粋の愛とは何か、ということを知らない。どのように愛するか、ということを知らない。にもかかわらず、みなが、他の人びとに愛されることを期待する。
 彼らは、私が彼らの難問を解決することを期待して、私に会いにくる。私は彼らに、いっさいを神にお話しせよ、彼が苦痛を除いて下さる、と話してやる。 

2014年2月18日火曜日

ギャルセイ・リンポチェが修行者たちに

過去の出来事に想いをはせたり、これから起こるかもしれないことを、ぼんやり考えているうちに、いつしか心はそちらの方にさまよいでてしまう。そんな時には、ギャルセイ・リンポチェが修行者たちにあたえたこんな忠告を思いだして、心をひきしめるといい。

2014年2月16日日曜日

プレゼント


すべての衆生に――たとえそれがあなたに害をなす人であっても――愛と幸福を全力で与えてください。 
彼らはお返しに、「不屈の心」というプレゼントをあなたに与えてくれるでしょう。 


Anandamayi Ma



ホーリー・マザー (Holy Mother)


「神よ、私は他人の欠点に目がいってしまいました。今までは、それが自身の性格に染みついていたため、障壁の原因となっていることに気がつきませんでした。私は、この習慣を改めて、神聖な性質を身につけます。今日から、誰の欠点も見ないようにします。私は、自身の崇高な目標から、心をそらさないようにします。私は古くから心に染みついたこの習慣を改めます。今後は、このような過ちを犯すことはありません。霊的な成長を阻害するマーヤー(幻力)に、私は心を許しません。神よ、どうかこのための力をお授けください。」

サーラダー・デーヴィー



サーラダーデーヴィー

アシュターヴァクラ・ギーター 純粋なる智慧

一から二が生まれる!
これが苦しみの根源だ。

私は二のない、一なるもの。
純粋なる智慧、純粋なる歓喜だ。
全世界は仮の姿でしかない。
ただそれだけを悟りなさい。
それ以外に救われる道はない!

2014年2月14日金曜日

常に至高者と共に


『至高者と結ばれた状態で食べ、至高者と結ばれた状態で体を動かし、至高者と結ばれた状態で行為をし、至高者と結ばれた状態で眠り、至高者と結ばれた状態で目覚め、そしてヨーガを実践すれば、苦悩はすべて取り除かれる。』

『だがもし君が精神集中行を修習できなかった場合には、すべての行為を私のためにするがいい。 そうすることによっても、君は完成の域に達するであろう。 しかし、もしそれさえもできないのなら、私に帰依し、心から私の助けを求めなさい。 そして自分の心を調御し、自分の行なうすべての行為の結果に心を向けないことだ。』

解説・バガヴァッド・ギーター

『至高者と結ばれた状態で食べ、至高者と結ばれた状態で体を動かし、至高者と結ばれた状態で行為をし、至高者と結ばれた状態で眠り、至高者と結ばれた状態で目覚め、そしてヨーガを実践すれば、苦悩はすべて取り除かれる。』  『だがもし君が精神集中行を修習できなかった場合には、すべての行為を私のためにするがいい。 そうすることによっても、君は完成の域に達するであろう。 しかし、もしそれさえもできないのなら、私に帰依し、心から私の助けを求めなさい。 そして自分の心を調御し、自分の行なうすべての行為の結果に心を向けないことだ。』

2014年2月12日水曜日

いつもわたしのことを思いながら戦いなさい

「私を信じ愛しきることによってのみ、私の真実の姿を見ることも知ることもでき、さらに私の中へと入ってくることさえできるのだ。
おお敵を殲滅する勇者よ!
私を愛慕して私のために働き、私を至上目的としてすべての欲望から離れ、すべての生類に思いやりを持つ人は、疑いなく私の中に入ってくるだろう。」

「死の時が来て肉体を離れるときに私の事を思う人は、誰でもまっすぐにわたしのもとへとやってくる。これは疑いのない真実である。
誰であろうと、肉体を離れるときに心で思ったもののところへ必ず行く。
ゆえに、君はいつもわたしのことを思いながら戦いなさい
心も頭もわたしにしっかりと結び付けておきさえすれば、君は疑いなくわたしのもとへと到達する。
ヨーガをしっかり実践し、光り輝く真我から心と頭を決してそらさぬ人は、必ずそのもとへと到達するのだ。」



――クリシュナ(「バガヴァッド・ギーター」より)

2014年2月10日月曜日

チャイタニヤ

「宇宙にあるすべてのものが真我をよりどころとしていますが、その真我をはじめ、あらゆるものの根本的なよりどころがクリシュナです。
そしてその権化のよりどころであるクリシュナが、自らチャイタニヤ師の姿を取って権化されたのです。
それゆえチャイタニヤ師は、あらゆるものに勝る真理なのです。」

‐チャイタニヤ伝

チャイタニヤ
ラーマクリシュナがケシャブに初めて会ったのとちょうど同じ頃、ラーマクリシュナの中に、シュリー・チャイタニヤとその信者たちのキールタンのヴィジョンを見たいという願望がわき起こった。
するとしばらく後のあるとき、ラーマクリシュナが自分の部屋の外に立っていると、チャイタニヤと信者たちが神の御名を歌いながらパンチャヴァティーの方からやってきて、ドッキネッショル寺院の表門の方に進み、木々の背後に消えていくのを見た。

 その信者の群衆のある者たちは自らを制御する自由を失い、ある者たちは至福の中で狂ったように踊り狂っていた。彼らすべてが、神への愛から生まれた霊的酩酊状態にあった。その群衆は巨大であったが、ラーマクリシュナはそのとき、そこにいた信者たちの中の二、三人の顔を目に焼き付けた。

 後にラーマクリシュナのもとにやってきた信者たちの中にその同じ顔を見つけたとき、ラーマクリシュナは、彼らが前生においてチャイタニヤの仲間であったことをハッキリと知ったのだった

―要約・ラーマクリシュナの生涯

-------------------------------------------
「チャイタニヤ」

生没年: 1485-1533
インドの宗教思想家。ヒンドゥー教のビシュヌ派の一分派チャイタニヤ派の開祖。ベンガル地方で新たにクリシュナ・ラーダー崇拝の宗教運動を始めた。奉仕の実践を尊び,愛の精神を強調した。

>>第二章 クリシュナ・チャイタニヤに関する真理

私たちがエゴを放棄しない限り、神は私たちの重荷を引き受けてはくださらない

 私たちがエゴを放棄しない限り、神は私たちの重荷を引き受けてはくださらない

あるとき、ラクシュミー女神と至高者ナーラーヤナとがヴァイクンタにいらっしゃったが、ナーラーヤナがにわかに立ち上がられた。
彼の足をさすっていたラクシュミーが、
『主よ、どこにおいでになるのでございますか』
と問われると、ナーラーヤナが、
『私の信者の一人がたいそう危ない目にあっている。助けてやらなければならない』
とお答えになった。

こう言いながら彼は出て行かれたのだが、すぐに戻っていらっしゃった。
ラクシュミーが、
『主よ、なぜこんなに早くお帰りになったのでございますか』
と問われると、ナーラーヤナは微笑しておっしゃった。

『この信者は私への愛に心を奪われて道を歩いていた。
数人の洗濯夫が草の上に着物を干していたのだが、信者はその着物の上を歩いてしまった。これを見た洗濯夫たちは男を追いかけ、持っている棒で打とうとした。それで私は彼を守るために急いで外に出たのだ。』

そして、
『それなのになぜすぐに帰っていらっしゃったのでございますか』
というラクシュミーの問いに、ナーラーヤナは笑って、
信者が自分で、彼らに投げつけようとしてレンガを拾うのを見たのだよ。(みな笑う)それだから戻ってきたのだ』とおっしゃった。



――「ラーマクリシュナの福音」より

LinkWithin

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...