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2013年12月7日土曜日

【イベントのお知らせ】12月23日(月)バクティヨーガ・フェスタが横浜で開催されます

バクティ・ヨーガフェスタ in 横浜
BHAKTI YOGA FESTA 2013 in YOKOHAMA

今年の夏、大阪で大好評だったバクティヨーガ・フェスタ。
2回目は横浜で開催されます。



バクティヨーガ・フェスタin横浜 

日時:2013年12月23日 14:30開場
時間:14:30~19:50
会場:横浜みなとみらいホール 6F
神奈川県横浜市西区みなとみらい2丁目3−6
出演:タイ・バーホー 他

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【プログラム】

◆ヨーガ講習会 14:30開場
15:00~16:30 
参加費:無料
※混雑が予想されますので、予約の方優先となります。

◆ビデオ上映
16:30~17:00
内容:バクティヨーガの聖者たち
(上映後はチャイとインドのお菓子で休憩)

◆演奏
◎「インド古典音楽と聖典バガヴァッド・ギーターの夕べ」
17:30~18:30
◎「聖典バガヴァッド・ギーターの朗読」
18:30~18:55
内容:ピアノとインド音楽の即興演奏をバックに、ギーターの朗読
◎「キールタン、讃美歌」
18:55~19:50
内容:プロのオペラ歌手らによる讃美歌を数曲聞いていただいた後、皆で一緒に讃美歌やキールタンを歌います。

詳細のホームページはこちらです。
http://www.bhaktiyoga-festa.com/
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参加費:お気持ちを入れていただくような形式になっていますので、ぜひお気軽にご参加ください。

2013年9月27日金曜日

自分をとおしてクリシュナが食べている-Vyasa



 「いつも、すべてにおいて神を唯一なる行為者と見なさい。
それは、心の内側における態度の問題です。それは、他人を感動させるようとする欲求から、神に帰依する多くの者が装う外見上の謙虚さであってはなりません。
 このことをよく表している、こんな話があります。

 ゴーピー達にとって、新鮮なチーズを毎日クリシュナに届けることは彼女たちの日課でした。しかしある日、ジャムナ川が大洪水になり、ゴーピーたちはクリシュナのところまで渡ることができませんでした。『どうしたらいいのかしら』とみんな嘆いていました。
 そこで皆は、こちら岸に住んでいるクリシュナの偉大な帰依者・ビヤサのことを思い出しました。

『ビヤサは聖者だし、彼のところに行きましょう。もしかしたら、奇跡を起こして、なんとか川を渡らせてくれるかもしれないわ』と声を上げました。皆は出かけて、クリシュナのところまで行けるように助けてくださいと頼みました。
『クリシュナ!クリシュナ! いつも、いつも、聞こえるのはクリシュナの名前だけ。私のことはどうなっているのかね?』不機嫌なふりをしてビヤサは大きな声でいいました。

Vyasa(聖仙ビヤサ)
さて、ゴーピー達は戸惑ってしまいました。用意したチーズはクリシュナへのものでしたが、ビヤサがつまみ食いをするのを、誰もあえて拒めませんでした。皆は、ビヤサの助けて欲しいと頼んでいたので、しかたなく、すこしだけ差し出しました。すると、ビヤサは、食べるわ、食べるわ、次から次に、見るからにおいしそうに食べてしまったのです。
 お腹いっぱい食べられるだけ食べると、どういう訳か河岸の土手まで行き、そこで大声で言いました。

ああ、ジャムナ川よ、もし私が、何も食べていないと思うなら、川を割って道をつくりたまえ!』

『なんと言う、嘘つき!』ゴーピー達はささやきあいました。『あんなにがつがつ食べていたのに。それを、こんどはよくも川に命じて、何も食べていないことを質にして、従わせようとするなんて!』
 ところが、なんと、その瞬間に川は割けはじめ、道ができたのです。この不思議に思案して立ち止まる間もなく、ゴーピー達は競って向こう岸に渡り始めました。そして、クリシュナの庵にそっと近づいてみると、クリシュナは眠っていました。

 これはどうしたことか、と皆は思いました。クリシュナは、いつもは庵の外に立って、ゴーピー達がチーズを持って訪ねてくるのを待ちかねていたからです。
『クリシュナさま、今日はお腹がすいていないのですか?』と皆は声をあげました。
『うん……?』眠そうな目を開けてクリシュナが答えました。
「私たち、チーズを持ってきたのですけど、クリシュナさま』
『ああ、ありがとう。でも、もうお腹いっぱいなのだ』とクリシュナは言いました。
『でも、どうしてですか?だれかが、食事をお持ちしましたか?』
『うん、そうだ。向こう岸にいるビヤサが、たらふく食べさせてくれたよ』


 つまり、ビヤサはまず、クリシュナに食べ物を捧げていたのだ。そして食べている間ずっと絶え間なくクリシュナのことを思っていた。ビヤサはエゴの意識で食べていたのではなく、自分をとおしてクリシュナが食べているという意識で食べていたのだ
そのように、すべての人は自分を通して神が働いていることを感じるべきなのです。
『わたしが!わたしが!』と考えるのをやめ、かわりに、心のなかで、いつも『主よ、あなた、あなた、ただ、あなただけが!』と歌うのです」


―パラマハンサ・ヨーガーナンダ

2013年9月23日月曜日

グルの本質

 永い間、いくつもの生に渡って、真理を願い、あこがれ、求めて来て、それにカルマが十分に清められたときが重なると、一種の奇跡が起こる。私たちと常に共にいた【内なるグル】が、【外なるグル】となって姿を現すのである。私たちはまるで魔法のように外なるグルに出会うのである。この出会いこそが生における最も重要な出来事なのだ。この奇跡を理解し生かすことができれば、無智に永遠の終わりをもたらすことができるのである。

 ――ソギャル・リンポチェ


2013年9月15日日曜日

どうすれば神を見つけることができるか

 神を見つけるにはいろいろな方法があります。鎮静(心の沈黙)もその一つです。沈黙を行ずるときは、自分の意識の中に外から侵入しようとするすべての欲望を鎮めて、魂としての自己を感じられる所まで深く沈潜することです。
もう一つの方法は信仰です。すなわち、純粋な気持ちでひたすら神にこう訴えます――


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「主よ、あなたは私の意志に反して私をおつくりになりました。私にみ姿を見せてくださることはあなたの責任です」と。

しかし、しばらくこう訴えただけで、そのあと忘れてしまうようでは神の応えは得られません。神の応えが得られないのは、大概の人は本気でそれを求めていないからです。ふつうの祈りがなかなか叶えられない理由は、十分に信仰心がこもっていないからです。

あなたは、超意識に達するまで深く何回もくり返し祈らなければなりません。あなたの魂が神を求める熱意で燃えだすような祈りだけが、神を動かすのです。あなたは今までに、何かをどうしても叶えてほしいと思う事があったり、緊急にお金が入用だったりしたとき、そんなふうに熱心に祈った経験があるでしょう。そのときあなたは、自分の願望でエーテルを燃やしていたのです。神に対しても、それと同じ熱意を込めて祈りなさい。昼も夜も訴えなさい。そうすれば神は応えてくださいます。

(中略)

夜は瞑想の時です。神と交わらずにベッドに入ってはなりません。私も必ずそうしています。昨夜も私がベッドの上に座って瞑想していると、主の存在が私を包みました。部屋とそのすべてのものが、まばゆい光に変わりました。私は就寝したあとも、私はずっと主の腕の中に抱きしめられたままでした。それは今までに経験したこともない喜びでした。

この世界は、すべて神の心が投影している映画です。死は、あなたに、この恐ろしい生と死の宇宙映画が神ご自身の光によって映し出されていることをお示しなり、そのあと、神の光だけを残してすべての映像を消してしまわれるでしょう。そのときあなたは、万物が神の光と影とによって映し出された実体のない幻影であったことを知って笑い出すでしょう。そして、神の光だけが実在することを知ります。あなたは自分自身をこ迷夢からたたき起こして、自分が神の不滅の光の中の一部の光線であることを悟らなければなりません。この悟りは、最高のヨガの瞑想を行ずることによって得られます。それは、講義では伝えることのできない経験です。

人間の永遠の探求―パラマハンサ・ヨガナンダ講話集


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2013年9月10日火曜日

ガネーシャ・チャトゥルティ(Ganesh Chaturthi)

ヴェーダ暦のバドラパーダ月の4日(新月から4日目)に生誕したとされるガネーシャ。
その日が今年は昨日2013年9月9日だったようです。
インドではその吉兆の日に、ガネーシャ・チャトゥルティ(ガネーシャ神の降誕祭)として、盛大なお祭りが行われるそうです。

ガネーシャって、シヴァ神の息子でもあり、商業や学問、智慧を持った神様として有名ですが、「障害を取り除き、不正な性質を正す神」なのだそうですね。
ヴェーダ暦のバドラパーダ月の4日
(新月から4日目)に生誕したとされるガネーシャ。
私もささやかながらお供物を捧げ、お祈りをしました。

シーターラーマさんのブログに障害を取り除く祈りとして、サーラダデーヴィーの言葉が紹介されていたので、引用させていただきます。

「神よ、私は他人の欠点に目がいってしまいました。今までは、それが自身の性格に染みついていたため、障壁の原因となっていることに気がつきませんでした。私は、この習慣を改めて、神聖な性質を身につけます。今日から、誰の欠点も見ないようにします。私は、自身の崇高な目標から、心をそらさないようにします。私は古くから心に染みついたこの習慣を改めます。今後は、このような過ちを犯すことはありません。霊的な成長を阻害するマーヤー(幻力)に、私は心を許しません。神よ、どうかこのための力をお授けください。」


友人からの贈り物のガネーシャ

すべての人の障害が取り除かれますように。

シヴァの息子

2013年9月5日木曜日

友人をつくる聖なる方法 その二

 あなたが人間的欠陥を取り除いて、聖なる性質を現せれば現すほど、多くの友人ができるようになります。イエス・キリストも、佛陀も、クリシュナも、すべての人々の偉大な友でした。彼らのようになるためには、あなたも、他人に対する愛を完全なものにしなければなりません。あなたの友情が、まわりの人々から認められたとき、つまりいろいろな試練を含む彼らとの長い付き合いを通して、お互いがともに何の打算もない純粋な友情によって心から相手のことを思いやるようになったとき、あなたは、そのような人間関係の中に神が現れているのを見るでしょう。

人間の永遠の探求―パラマハンサ・ヨガナンダ講話集


ブラフマー神 「しかし、どうしてヴリンダーヴァンの御身の友たちは
御身の偉大なる功績に混乱していないのでしょうか? 
彼らは愛しき子として御身を敬愛しているだけでございます」 

クリシュナ「彼らの愛は純粋無垢でとても強いのだ、ブラフマーよ 
私がどんなことを行おうとも、彼らは純粋にわたしを愛する 
ヴェーダの叡智やヨーギーの瞑想によっては、わたしは簡単に理解されないだろう 
愛と献身によってのみ 私を理解することができるのだ

ルトル・クリシュナより

2013年9月4日水曜日

友人をつくる聖なる方法 その一

 真の友人を引き寄せるには、自分の中から利己心や、そのほかの醜い性格を取り除かねばなりません。友人をつくる最高の方法は、自分の性質を浄化して、利己的な衝動を排除し、純粋で、霊的に振る舞うようにし、また前世からすでに友情の基礎の出来ている相手との間に友情を築きあげることです。

友情は親子の間にも、夫婦の間にも、男同志の間にも、すべての人間関係に存在するべきものです。そこの条件はありません。あなたが純粋に友達なりたいという衝動を感じたとき、あなたはそこに、聖なる愛、すなわち神の存在を感じているのです。友情は、聖なる衝動です。神は、両親や親族となって子供である私たちの面倒を見るだけでは満足なさいません。そこで、われわれにも心からの無条件の愛を表現させる機会を与えるために、友人として現れるのです。



人間の永遠の探求―パラマハンサ・ヨガナンダ講話集

2013年9月3日火曜日

人に対して誠実で思いやりをもつこと

 もし、人間的向上を助けてくれるような真の友人が周りにいなかったら、その人はどんな人生でしょう。しかし、あなたの心には、真の友人を引き寄せることのできる磁石があります。
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その磁石とは、人のことをまず考える非利己的な心です。自己中心性な考えから解放された人は、そう多くはいません。しかし、非利己的は心は、他人のことをまず第一に考えることによって容易に養うことができます。母親には、普通こうした特性があります。母親の一生は奉仕です。夫や子供のことを第一に考えます。いつも自分のことよりも家族のことを考えているので、彼女のことはまわりの人が考えてあげる、というのがインドの家庭の伝統です。真の霊的教師たちも、これと同じ心得をアシュラムで教えています。

他人を思いやる心はなのよりも素晴らしい性質です。それは人間としての最大の魅力です。ですからそれを身につけなさい。だれかのどの渇いた人がいると、思いやりのある人はそれを察して水を与えます。思いやりとは他人の気持ちを察する心です。思いやりのある人は、人と一緒にいると、直観的に相手の望んでいる事を察知します。

2013年9月1日日曜日

み心のままに

 私は、霊的修行を始めたころ、この道に入れば良いことばかり起きるようになる、と期待していました。しかし、実際には、いろいろな困難が襲って来ました。そこで私は考えました、「自分は神に甘えて、神に多くを期待しすぎたのだ。これからは、『主よ、み心のままになさってください』と祈ることにしよう」と。そして、厳しい訓練に遭うたびにそう祈りました。私は、神が私の前に置かれたものは何でも受け入れよう、と決心しました。すると神はいつもその試練に打ち勝つ方法を教えてくださいました。

霊的に強くなると、死も問題ではなくなります。あるとき、私は死にそうになっている夢を見ました。しかし、私はそのとき、神にこう祈っていました、「主よ、み心ならば私は喜んで死にます」。すると、主が優しく私に触れられ、とたんに私はこう悟りました、「どうしてわたしは死ぬことができよう。海の波は死ぬことができない。それは海の中に沈むけれども、再び姿を現わす。波が決して死なないように、わたしも決して死ぬことはないのだ」と。

人間の永遠の探求―パラマハンサ・ヨガナンダ講話集

2013年8月31日土曜日

あなたが人に期待する性質を、まず自分の身につけなさい―ヨガナンダの言葉


もしあなたが、だれかを深く敬愛し、その人の生涯と生き方を学び、意識的にその人柄をまねていると、だんだんその人に似てきます。あなたの中に、その人と同じ個性が形成されていきます。私は、この方法を使って自分の望む個性をまとうことができるようになりました。私は賢者の個性をまとうと、英知の言葉しか話せなくなります。偉大な信仰者だったスリ・チャイタニヤの個性をまとうと、神に対する愛の言葉しか話せなくなります。そして、自分をイエスの個性に合わせると、私は、神を母としてではなく、イエスのように父としてしか話かけられなくなります。このように、魂は自分のあこがれるどんな心の衣装でもまとうことができ、また、いつでも思いのままに着替えることもできます。
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あなたはすばらしい人に出会ったとき、自分もその人のようになりたいと思いませんか?偉大な人たちの心の中にある崇高な性質を思い浮かべることによって、あなたはそれらすべて自分の心の中に取り入れることができるのです。謙虚になることも、強くなることも、また、正義のために戦う英雄のように勇敢になることもできます。ジンギスカンのような征服欲(障害を克服しようという強い意志)をもつことも、聖フランシスのような神の意志と聖なる愛と献身の心を持つこともできます。
ひたすら神を愛するバクターとしての
スリ・チャイタニアの名は
16世紀インド中に知れわたった。
(中略)

あなたが人に期待する性質を、まず自分の身につけなさい。それは一度にしようとせずに、一つずつ取り入れてゆきなさい。例えば、きょうはまず、平和な心を保つよう実習をします。次は快活さを養うために、つらいときでも微笑みを忘れない練習をします。その次は、勇気と恐れない心を訓練します。

暗闇が怖い人は、その恐怖心を克服するまで暗い部屋の中にいる訓練をしなさい。「神はいつも自分と一緒にいてくださる」という意識を養うことが大切です。どんなに堅固な城の中にいても、病気はやすやすと侵入してきますが、いくら銃弾の飛び交う戦場にいても、もしあなたに肉体を離れるべき時期が来ていなければ、あなたは弾にあたりません。

誠実さ、利己心の追放、職業的能力など、一つずつ習得しなさい。自分の理想を決して妥協させない殉教者たちの固い意志を見習って、どんな障害にも決して怯んだり、挫けたりせずにやり遂げなさい。

だれもがあなたに会うのが楽しいと思うようになるまで、思いやりと善良な人柄を養いなさい。花のような美しさと、純粋な心のもつ魅力とを身につけなさい。このような魅力を身につければ、あなたの周りにはいつも真の友人が集まり、あなたは、人からも神からも愛される存在になるでしょう。

人間の永遠の探求―パラマハンサ・ヨガナンダ講話集

2013年8月26日月曜日

強さを持ちなさい

 落胆に屈するな。落胆は、心の落ち着きをなくさせる。
 常に、自分は全面的に祝福されている、主の子供であると、思っていなさい。
 心に邪悪な考えが浮かんでも、少しもそれに気をとられるな。それらは心の中にある過去世の痕跡で、折に触れて表層意識のレベルに浮かんでくるのだ。
 強さを持ちなさい。恐れはないのだ。すべては必要なときにもたらされる。

 低級な考えは、あらわれては消える。そのようなものは気にするな。
 神の恩寵により、絶え間ない実践の結果として、あなたは強さを獲得する。
 ジャパ、瞑想、礼拝、そして聖典の学習に、当分の間、心を傾けて打ち込みなさい。そうすれば、主はすべてを正しい状態にされる。


 ――スワーミー・シヴァーナンダ

2013年8月11日日曜日

信仰と誠実と明け渡し-オーロビンド・ゴーシュ


「 あなたの生命は、ただ神の道具として与えられたものであり、ひとえに、聖なる神の顕現を助けるためにのみ与えられたものであるということを、よくよく心得ておくことだ。
神の意識が持つ純粋さ、力、光、大らかさ、落ち着き、至福のみをひたすら願い、あなたの精神と生命と身体を変容して、これらすべてを完全にならしめずにはおけないという、神の意識が示す熱意のみを、ひたすらに求めるがよい。
超精神的なる聖なる真理のみを求め、その真理が、地上で、あなたの内で、そしてまた呼び出され選び出された者すべての内で現実のものとなることのみを求め、その「真理」が対抗勢力の一切に勝利をおさめることのみを、ただひたすら求めることだ。

あなたの誠意と明け渡しを、混じりけのない、完全なものにしなさい!
自らを差し出すときには、あなたの内の一切が「聖なる母神」のものとなり、自我に取っておかれたものなど何もないように、要求も条件も保留も一切なしに、余すところなく完全に自分を差し出すことだ。

あなたの信仰と誠実と明け渡しが完全なものになればなるほど、恩寵とご加護はますます多くあなたに下るであろう。「聖なる母神」の恩寵とご加護があなたと共にあるとき、あなたを手荒に扱うどんなものが存在しうるというのだろう。その恩寵とご加護のほんのわずかがあるだけで、どんな難事も、どんな障害も、どんな危険も、すべて突破させてくれるだろう。
あなたが「聖なる母神」の恩寵とご加護に深く包まれていれば、どんな脅威も気にせずに、それがこの世に発するものであれ、それが見えない世界に発するものであれ、どんなに強力な敵意にも一切動かされることなく、自分の道を無事に渡っていけるのは当然である。その道は、実は「聖なる母神」ご自身の道なのだから。

彼女の恩寵とご加護がひと触れしただけで、ピンチがチャンスに、失敗が成功に、弱さが強さに変貌してしまうのだ。
「聖なる母神」の恩寵は、至高者からの認可と同じものであり、その成果は今日も明日も永遠に確実で、いったん下された決定はどんなものも、避けることも抗することも叶わぬ不変の決定であるからだ。」


「 利己的な選択を迫ってやまない緊張、個人的利益をひたすら求める思い、自己中心的な欲望に満ちたギブアンドテイクの意識、そんなものは、すべて根絶やしにしてしまうがよい。実りを要求したり、報いを追求したりすることがあってはならないのだ。あなたにとって実りとは、ただひとえに「聖なる母神」の喜びであり、その御わざの成就であり、そしてあなたにとって報いとは、神の聖なる意識と、寂静と、強さと、至福の内にあって、変わることなく不断に進んでいくことにこそ、あるのだから。
 私心なき働き手にとっては、奉仕の喜びと、行為を通して内なる成長を遂げていく喜びとが、すでにそれ自体、十分な報いになっているのである。

―オーロビンド・ゴーシュ, 

2013年8月7日水曜日

クリシュナ ジャヤンティ 2013 Hare Krishna


 Say: Hare Krishna Hare Krishna Krishna Krishna Hare Hare Hare Rama Hare Rama Rama Rama Hare Hare


「これ以上推理をするでないよ。覚えておいで。たとえどんなふうに呼びかけたとしても、神は現れてくださるのだよ。
 自分の性質に合わせて神を礼拝しなさい。

 すべての道の目的地は神だ。彼はどんな道でも悟ることができる。――しかしだ、人は誠実にならなければいけない。これはギーターで述べられていることだ。
 常に神に呼びかけ、サーダナを実践しながら、神への愛と渇仰を培っていくのだよ。
 このようにして神の恩寵によって愛と信仰を得たとき、心は無智から生じるエゴから解放されるというわけだ。

 自分の意志で何かをするなどということがあってはならないのだよ。
 すべては神のご意思通り。操り人形は、糸につられてステージのうえでたいそううまく踊るだろう。――でもね、彼らは糸がプッツリ切れると動けなくなってしまうのだよ。
 だから、よく考えて、識別する必要があるということだ。そうやってのみ、エゴは心から去っていくのだよ。
 金持ちの貴族は、自分の豊かさに傲慢になってのぼせ上がっているからね。彼らは神を忘れてしまっているのだよ。
 神を思う人が唯一の真実であり、世俗的な所有に対して無執着である。その人だけが彼を悟るのだよ。
 すべてを放棄した人にとって、神はすべてにおなりになっている。」

―ラーマクリシュナ


「バクティヨーガフェスタ」
http://www.bhaktiyoga-festa.com/
1.開催日程
日時:2013年8月25日
場所:大阪市中央区伏見町3-3-3 芝川ビル4F

大きな地図で見る

◆地下鉄御堂筋線「淀屋橋」駅11号出口より徒歩1分(詳細:
http://www.bhaktiyoga-festa.com/#!access/cz0i
入場料:無料

開場:10:00~
イベントスタート:10:30~
閉場:19:00


「誰もが神の愛に浴している。
しかしその恩恵に気づける者は稀である。」



2013年7月30日火曜日

自由に到達する道-ヴィヴェーカーナンダ



私たちが生への渇望を捨てるまで、つかの間の条件付けられた生存に対する強い執着を手放すまでは、すべてを超越したあの無限なる自由は、その一瞥さえも得る希望はない。

それ故に、人類すべてが熱望する最も高貴な目標である、かの自由に到達する道は、ただ一つである。それは、この小さな生を諦めることによって、この小さな宇宙を諦め、地球を諦め、天国を諦め、この肉体を、心を、そして制約され条件付けられたすべてを諦めることによって得られる。

もし私たちが、感覚や心のこの小さな宇宙への執着を放棄するなら、直ちに自由となるだろう。束縛から抜け出す唯一の道は、法則の制約を超えること、因果律を超えることなのである。

――スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ

2013年7月28日日曜日

どうやって祈ればよいのですか?


「どうやって祈ればよいのですか?」

おお、父よ、われわれにあなたを理解させてください。あなたへの愛をお与えください。完全なる信仰をお与えください。永遠なる命を、真実の命をお与えください。――というふうにです。

「どのようにしてですか? 声に出して祈るのですか?」

「その必要はありません。声には出しても出さなくてもよいです。
お腹がすいてる人がいたとして、その人がそれを表現しなかったら、彼はお腹がすいてないということになるのでしょうか?
父だけが、人の内なる切望をご存じなのです。」

「神に祈るために、どのようにしたら神に愛を向けることができるようになりますか?」

世俗を放棄した聖者方との交わりが、あなたに神への愛を感じさせてくれます。
これが宗教への第一ステップであり、霊性の人生の始まりであり、終わりです。
インテリはこれを全く理解していない。
あなた方科学者は、感覚的叡智を探求することにふけっています。
人間の知性は貧弱です。とても弱い。
信と祈りだけが必要なのです――それらがすべてです。
彼の御慈悲にすがりなさい。
彼がいつか、われわれに理解させてくれるでしょう。
われわれは彼の支配下にあるのです。――彼がわれわれの支配下にあるのではありません。
われわれには彼の恩寵が必要なのです
『放棄すべきですか』とあなたがおっしゃるなら、その答えはキリストの言葉の中にあります。

-Mとジャーナリスト

2013年7月25日木曜日

与える



 この世において常に、与える側の人間になりなさい。
 すべてを与え、見返りは何も求めてはいけない。
 愛を与え、人の助けとなり、奉仕をし、自分のできる限りのことは何でも与えなさい。しかし、物々交換は避けなさい。
 条件付けをしてはいけない。そうすれば、何にも欺かれないだろう。
 神がわれわれにするように、自己の報酬は他者に分け与えようではないか。


―ヴィヴェーカーナンダ

2013年7月21日日曜日

2013年8月25日クリシュナ・ジャヤンティ「バクティヨーガフェスタ」無料イベントのお知らせ


来たる8月25日、クリシュナ・ジャヤンティ(クリシュナの誕生日を祝う祭典)、題して「バクティヨーガフェスタ」が大阪で開催されます。
バクティヨーガにご興味がある方、ヨーガを行っている方、クリシュナが好きな方には見逃せないイベントです。
またこのイベントは、入場も参加も無料となっています。

この機会に是非、神への愛、バクティヨーガの世界に触れてみませんか?



1.開催日程
日時:8月25日
場所:大阪(詳細:http://www.bhaktiyoga-festa.com/#!access/cz0i
入場料:無料

開場:10:00~
イベントスタート:10:30~
閉場:19:00

2.プログラム
詳しくは、専用ホームページをご覧ください。
http://www.bhaktiyoga-festa.com/

今のところ予定されている内容は、以下の通りです。

(1)ヨーガ講習会

 アーサナ、呼吸法、ムドラー、ジャパ、キールタン、瞑想が受けられます。


(2)3Dアニメ・リトルクリシュナ上映会

 クリシュナの幼少の頃を綴った物語で、深い教えが盛り込まれた「クリシュナ物語」。純粋で愛くるしい子供の至高者クリシュナ神は、いろいろなエピソードを通して、私たちが忘れかけていた神への純粋な愛や、大切なことを思い出させてくれます。この誰もが知るインドで絶大な人気を誇ったアニメーションを、日本語字幕付きで上映します。




(3)本場インドの僧によるクリシュナ生誕祭プージャー

 インド最大のヒンドゥー教僧団ラーマクリシュナ・マト&ミッションにおいて「マハラジ」の称号を授けられているスワミ・メダサーナンダ氏による、伝統的なクリシュナ・ジャヤンティの儀式をおこないます。
時間と場所の関係上、本来の正式なやり方よりも短縮したものになりますが、普通はなかなか見ることのできない本場のバクティヨーガの儀式を見ることができる貴重な機会です。


(4)メダサーナンダ師による講話

「バクティヨーガについて」のお話をされるようです。


(5)バクティヨーガについて解説した冊子

全員にプレゼントする予定です!


(6)インドカレー

カレーも無料です。


(7)インド音楽(バンスリ―(横笛)、タブラetc...)コンサート


3.当日のタイムスケジュール

10:00 開場
10:30 本場インドの僧によるクリシュナ生誕祭プージャー
11:15 メダサーナンダ師による講話「バクティヨーガについて」
12:00 カレーランチ(無料)
13:00 ビデオ上映第一部
14:00 ヨーガ講習会 
16:00 インド音楽(バンスリ―(横笛)、タブラetc...)コンサート
17:00 ビデオ上映第二部
19:00 閉会

※プログラム内容に変更の可能性もございます。

年に一度のクリシュナの誕生日、この機会に是非お越しください^^


バクティヨーガフェスタ2013手作りのチラシ

こちらはバクティヨーガフェスタ2013ポスター。

主催:
バクティヨーガ・フェスタ実行委員会
日本バクティヨーガ協会
ヨーガスクール・カイラス

協力:
日本ヴェーダーンタ協会(ラーマクリシュナ・ミッション日本支部)

追記:8月27日イベントレポートを書きました。



2013年7月20日土曜日

パラマハンサ・ヨガナンダの言葉

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「人生の体験をあまりに真剣に受けとってはいけません。
とくに、その体験のために苦しんではなりません。
なぜなら、本当は、すべてはほんの夢にすぎないのですから・・・
もし状況が悪くて、耐え忍ばなければならないとしたら、 その状況をあなたの一部としないことです。
人生のあなたの役を演じなさい
そして、 それが単なる役にすぎないということを忘れないでください。」

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☆☆☆☆


「すべての時間を消え去りゆくもののために費やして、何の役に立つのでしょう?
人生とはまさにドラマであり、幻影に過ぎないという真実を教えるための教訓劇なのです
愚者は、その劇を真実でいつまでも続くものだと思い、悲しい場面で泣き、幸せな場面が長続きしないと歎き、さらには、その劇が最後には終わってしまうと悲しみます。
苦悩とはそうした霊的盲目への戒めなのです。

しかし賢者は、そのドラマを観て、それがまったくの「まやかし」であることを知っているので、内なる自我の中に永遠の喜びを探求します。

生命とはその扱いを知らないものには、恐ろしい機械装置のようなものです。
遅かれ早かれその人自身を灰にしてしまうのですから。」

瞑想方法

☆☆☆☆


「このように自問してみてください。
まず、波の起伏をもたらしているものは何なのだろうかと。
それは風です。ひとりでに表面は穏やかになるのです。
同様に、心に錯覚をもたらす嵐が鎮まれば、作用と反作用の波も自然におさまるのです。

ですから、しなければならないことは、深い瞑想によって心の波を鎮めること、そして瞑想のなかで、エゴに偏った意識を排除することです

ひとたび、自分が因果の原因になることをやめるならば、錯覚がもたらす波は、外側では起伏をつづけても、もはや影響を与えることはなくなるのです。」


☆☆☆☆


「曲がった脊椎は覚醒の敵です。瞑想においては、いつも脊椎を真っ直ぐに保ってください。 それは生命力が邪魔されることなく流れるようにするためです。 次に、眉間にあるキリスト意識の中枢に注意を集中してください。 そのポイントに深く集中すればするほど、ますます、あなたのエゴが超意識のなかに融けて消えていくのが分かります。」


☆☆☆☆


「客観的状況はいつも中立です。
あるものが悲しく見えるか楽しく見えるかは、あなたの対応によるのです。
自分自身に取り組むこと、外側の環境への自分自身の対応の仕方に取り組むこと。
これがヨーガの神髄です。つまり、心におきる反応の波をなくし、 いつも内側で幸せでいられるようになることです。
外側にあるものを、 いつもあなたを喜ばせるものに変えることは決してできないのです。
あなた自身を変えなさい。」


タット

☆☆☆☆


「人のからだの内奥には不滅の魂が宿っており、 それは万物を支えているタットの火花である」と聖賢たちは明言しています。
自己の魂を自覚した人はこの真理を知っていて、こう言います ――

わたしは有限の万物を超越している。
今わたしには、この宇宙大自然が、唯一にして常に新たな喜びである。
神の巨大なみ体であり、自己表現のみ姿であることがわかる。わたしは大空の星であり、太陽の波であり、万物を存在させている大生命である。
わたしはすべてのものの心の中にある笑いであり、すべての花々と、すべての魂の中にあるほほ笑みである。わたしは万物を支えている英知と力である」と。

あなたも、このような意識を自分の内に実現しなさい。 私の言葉は、あなたがたの内部でいつまでも鳴りつづけるでしょう。 しかし、あなたが迷妄の中で夢を見ている間はそれに気づきません。

あなたがそこから目覚めたとき、私の語った真理が魂の中で脈打っているのに気づくでしょう。 瞑想しなさい。 そして、魂を開放するこの教えを実行しなさい。
これ以上時間をむだにしてはなりません。」


☆☆☆☆


「あなたがたは、まだ自分にとって何がほんとうに善いことなのか理解していません。
あなたがたが間違った行為をするとき、魂はあなたにとって敵となります。
魂と手を結べば、魂はあなたを助けてくれます。
あなたの救い主は、真の自己であるあなたの魂以外の何物でもありません。」


☆☆☆☆


「 人生は多くの浮き沈みをもたらします。そうした外側の波と一緒に気持ちを浮き沈みさせるなら、霊的進歩の礎となる内側の静寂を手に入れることはできません。ですから、感情的な反応をしないよう注意し、好き嫌いの感情を越える必要があります。
人生で従うべき方法は、また人生で多くの試練の波をうまく航海する方法は、どんな時も、心に平和と喜びをたたえていることなのです。」


-パラマハンサ・ヨガナンダ

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2013年7月18日木曜日

心配性の君へーアドブターナンダの言葉



「シュリー・ラーマクリシュナがよく仰っていたことを聞きなさい。君が何をしようと、最終的には彼に到達する。君は、こっそりやれば、神は御存じないだろうと思うだろう。

お馬鹿さんだね。君が彼――宇宙のこの壮大なショーをお動かしになっていらっしゃるお方――に、どんな賢さを見せることができるかね?

君が何をしようと――善きも悪しきも、どうでもいいことも――疑いもなく彼に届く。すべての事は彼のショーなのだよ。彼のスポーツなのだよ。

シュリー・ラーマクリシュナは仰った。

『仕事を始めるとき、彼に呼びかけなさい、彼を覚えておきなさい。――仕事の合間に、あなたがどんな小さな休憩を取るときもまた、彼に呼びかけなさい。そして仕事が終わったらまた彼に呼びかけなさい。こうする者は皆、何の心配もないのだよ。』」

ーアドブターナンダ

2013年7月9日火曜日

あなたの御足の下に

「限りなき智慧として 主よ
私の魂に 入りたまえ。
すると、騒がしき心は、鎮まりて
あなたのお姿に言葉を忘れ、
あなたの御足の下に避難所を見いだすでしょう。」


‐ラーマクリシュナの福音


2013年7月4日木曜日

これが<主>に献げられますように

「クリアー・ヨーガの最後の部分は、単純だが偉大である。それは、至高の<存在>(もの)に身を委ねることである。私はこれを、行為の果実を<神>あるいは<神>の顕れであるところの人類に献げることだと理解している。何もかも献げよ、あなたの研究もジャバも修練も、すべてを<主>に献げよ。
(中略)
何をするときでも、いつでも、「これが<主>に献げられますように」と感じながらせよ。それをするならば、心は自由で静穏だろう。何でも自分が所有しようとするな。一時それを預かってはいるが、自分はただの受託者で、所有者ではないと思え―」


スワミ・サッチダーナンダ

2013年7月1日月曜日

ギリシュ

「師がとても慈悲深いのも知っている。私がこの病気や悲嘆、痛みや苦しみを経験しているのは、彼のご意思なのだ。すべては私のためなんだ。彼の恩寵によって得たこの気持ちは、病気を治したいという気にならないほど強いんだよ。」

―ギリシュ・チャンドラゴーシュ

ギリシュ・チャンドラゴーシュの生涯

2013年6月29日土曜日

『私意識』アハンカーラ


「この「私」・自我とは、あのお方自身が置いておかれたのです。
この自我・私とは、あのお方の遊び、あのお方の遊技です。」 

「神に心を置く、そのような人こそ真の人間です。
更には、神聖な意識を持つ人、たとえば、神の意識のある人、純粋精神に目覚めている人、そのような人たちは、神が真実で、その他一切は無常である。
と、間違いなく知っています。」

「私という意識があるあいだは、どうしても相対界(転変の世界)を棄てることは出来ません。
これではない、これではない、と否定を重ね、瞑想のヨーガによって、人は実体・ブラフマンに到達することが出来るのです。」

「あなた方個人の存在は、どこにあるのですか?
あのお方が、すべてのものになっておられるのです。
そのお方を知らない間、「私」、「私」と繰り返しているだけです
すべての人が、あのお方を知ることが出来ます。すべての人が救われるでしょう。
ところがある人は朝のうちに食べることが出来、ある人は昼の時間に、ある人は夕暮れになります。
しかし、誰も食事無しに終わる人はいません。
すべての人が、自分自身の本来の姿を知ることが出来るでしょう」

「あの方を誰が知ることができるでしょうか?
私は知ろうなどと試みたことはありません。
わたしはあのお方を、ただお母さん、と言って呼びます。
母は好きなようになさいます。
あのお方の思し召しでないなら、思し召しではないことを知らせてくださるでしょう。」

「神は、あそこ、あそこと感じている間は、その人は無知です。
神はここ、ここと、知ったら、その人はブラフマンの明知を得ます。
心の清らかなる人は、決して、そのような富や、力や、神通力を神に祈りません。
心の底から真剣であれば、世俗にあっても神を得ることができます。
「私が」、「私のもの」これが無知です。
おお神よ、それは「あなたです」、そして「すべてはあなたのものです」これが明知です。」

―ラーマクリシュナ


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心もまた『自己』ではない。なぜならばそれは『私意識』アハンカーラの結果である。
ブッディ(知性)について言うならば、それはプラクリティが変容したものであり、『自己』ではない。

真我は、純粋意識であり、至福である。彼には生と死のような変化がない。そして肉体と心の結合から離れている彼は、ただのそれらの目撃者であり、監督者である。
彼は彼が顕現するものを通じての一切の付加物から離れている。彼は自ら、永遠に純粋なのだ。

そのように真我を知るならば、人は輪廻の束縛からの解脱を得る。
ゆえに、私は今御身に、究極の解脱に達するための手段をお教えいたそう。

おお、智者よ! 心して聞くがよい。
まず最初に、マハーヴィシュヌへの信仰を培いたまえ。それは御身の知性を浄化し、御身はそれによって純粋なる叡智をも得るであろう。
それから、御身は永遠に純粋な叡智と、影響を受けることなき真理を得るであろう。この叡智が完全に確立されるならば、御身はブラフマンの至高なる境地に達するであろう。
それゆえに、あらゆる信仰心を抱き、ハリそのものであられ、プラクリティを超越し、一切に遍在するラクシュミーの夫であられるラーマ様を礼拝するのだ。

己の愚行と敵対心を捨て去れよ。自己を明け渡したすべての者たちにとって愛おしきラーマ様の御足に避難せよ。
御身の息子、縁者と共に、シーター様をラーマ様のもとにお連れして返還し、降伏の印として完全なる礼拝を捧げるのだ。
そうすれば、御身は恐怖から解放されよう。
思慮なき者が、いかにして、至福の本質であり、非二元の存在であり、一切の者の胸の中に住まう至高なる真我であられるラーマ様のもとに、完全なる信仰を持って避難することなく、荒れ狂う波の輪廻の海を渡ることなどができようか?
もしそのようにしなければ、無智という炎に焼かれることから誰からも守ってもらえることなく、御身は霊性の堕落の深みに沈んでしまうのだぞ。
御身は、輪廻の辛苦から引き上げられる好機を得ることは決してなかろう。」

-ハヌマーンのラーヴァナに対する説教

2013年6月26日水曜日

心配することになんの意味があろうか

「わたしを導き、慰めとなってくれたのは、心の中にはぐくんだ仏教の智慧の光だった。
もしも問題解決が可能で、しかも、そのために努力することが有意義なら、平和な落ち着いた心と開かれた態度、そして喜びに満ちた姿勢で、解決のために、じぶんの生活を捧げようとした。もしも解けない問題であれば、やっきになって燃えつきてしまったり、時間を無駄にし、エネルギーを浪費しないようにした。

 どちらの場合も、感情や頭の中の固定観念に執着したり、その上に長く居座ったり、気にしたりせず、ただ、流れていくにまかせた。そんなことをしても、状況は悪くなるだけだからである。

シャンティデーヴァはこう言っている。

「問題を解くことができるなら、心配する必要はどこにあろうか。
解くことができないなら、心配することになんの意味があろうか」

-トゥルク・トンドゥップ



グル・リンポチェのマントラの意味

グル・リンポチェのマントラの意味



オーム・・・・・・・・ブッダの身体の種字

アー・・・・・・・・・ブッダの言葉の種字

フーム・・・・・・・ブッダの心の種字

ヴァジュラ・・・・『金剛』――――法身(ブッダの究極の本質)

グル・・・・・・・・『導師』――――鏡に映しだされる像。報身(ブッダの清らかな形)

パドマ・・・・・・・「蓮」――――純粋さ。化身(普通の生き物が知覚するブッダの身体)

シッディ・・・・・・一般的な、また特別の成就

フーム・・・・・・・「与えてください」あるいは、「真実のままにあれ」という祈り

(出典:「心の治癒力」トゥルク・トンドゥップ)

2013年6月24日月曜日

完全なる明け渡しこそが、ダシャ・バクティの理想である

 バクタは、彼自身を完全に放棄し、神に明け渡さなければならず、また、いかなる保証も神に要求してはならない。

 ラクシュマナ、ハヌマーン、アンガダなどは、バガヴァッド・バクティにおいてこのダシャ・バーヴァを実践した。
 ラクシュマナは、ラーマへの最高の愛と、自分を彼の奴隷と見ることに徹していたために、時にはラーマと話しをすることさえできなくなった。
 ハヌマーンは、主への神聖な奉仕の素晴らしい例としてそびえ立っている。彼は、主ラーマへの奉仕だけに生涯を費やしたのだ。
 アンガダは、ラーマにもう去るように言われてからも、ラーマのもとを去りたくなかったために、常に主ラーマに仕え、最もつまらない奉仕でいいから奉仕をさせてほしいと、主ラーマに祈った。

 ラクシュマナ、ハヌマーン、アンガダなどが取り憑かれていたようなバクティを開発するのは、簡単なことではない。そのためには、心は浄化されなければならず、自分の考えや欲望は絶滅されなければならない。そうして初めて献身者は、神への真の愛を持つことができる。
 そのような心の浄化を伴わない神への愛は、世俗性の入り混じったものとなるため、素晴らしい実を結ぶことはないだろう。
 
 完全なる明け渡しこそが、ダシャ・バクティの理想である。
 完全に明け渡し、主の奴隷や召使いとなることができたならば、神への明け渡しと奉仕を通じて、彼は実際には何も失うことなく、一般的な意味でも特別な意味でも、すべてを得るのである。

己の身・口・意を明け渡すこと

 わたしたちはシュリー・ラーマクリシュナが世界の教師であると信じている。
もし神の恩寵によって、あなたがシュリー・ラーマクリシュナの瞑想に没頭できるなら、あなたのグルへの信仰心も同様に育つだろう。
創造者である主が唯一の真のグルであり、彼が到達点なのだ。

己のすべてを捧げることができる人――己の身・口・意を明け渡すことができる人が、この世に何人いるであろうか??
そして、神、グル、ブラフマンの智者を除いて、誰がそのような捧げものを受け入れることができるだろうか?
肉体と心を完全に征服している人々がどれだけいるというのだね?
そのような人々は、普通の魂ではない。

 しかし肉体に愛着し、肉体の意識を持って、幸と不幸の感覚の支配下にあり、「わたし」と「わたしのもの」という感覚を持つ人々は、彼らに自己を明け渡す人々を受けいれたり、助けたりする力を持つことができないのだ。
 もしあらゆる人々にとって、心と精神を明け渡すこと、またはそのような明け渡しを受け入れることが容易いならば、この世の恐怖と不幸は終わっているだろう。この世は楽園になっているだろう。

もし、真にあなたがあなたの心と精神のすべてを神へ捧げるなら、そのとき、あなたはすべての義務を超越するだろう。――あなたはもはやあなたではなく、あなたにとって「私のもの」というものは何もなくなる。
一方、いまだ自分が行為者であるという感覚、つまりはエゴの感覚を持つならば、そのときあなたは、自分自身を真に神へ明け渡したことにはなっていないし、彼もまたあなたの明け渡しを受け入れていないということになる。

あなたのグルは、聖典の言葉をこのように引用された。

「霊性の修行を実践する者以外に、聖典の真髄を理解できる者はいない」と。

自分自身を修行の実践に没頭させ続けなさい。
シュリー・ラーマクリシュナを瞑想する者は、この世界を乗り越えるのだ。

-スワミ・プレーマーナンダの教え

2013年6月19日水曜日

シヴァーナンダの言葉


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「あらゆるものの中に神を見て、被害や困難さえも善きものに変えなさい。 これが真のヨーガである。 これにより素晴らしい悟りは得られ、すべての無明の束縛はバラバラに引き裂かれる。 そしてあなたは永遠の中にとどまるだろう」

どんなところに居ても神聖なるものと一緒にいるということを感じてください。それは時間や空間に限定されるようなものではなく、離れているとか離れていないとかいうことでもありません。」

「あなたにはとても長い人生を無駄にしてきました。精神的な価値にずっと無関心でした。怠惰や惰性や無気力から立ち上がりなさい。あなたのすべての性質を作り直しなさい。誠実な人になりなさい。そうすれば祝福されるでしょう。」

「後悔してはいけません。絶望してはいけません。あなたは不滅の魂そのものです。」

「あなたの志を維持しなさい。心の中にある精神的熱望という炎を常に燃やし続けなさい。」

「信心深い人だけがエゴイズムから解放されるのです。そのような人は十分に感覚をコントロールすることができる人であり、そして、瞑想に没入することができるような人は永遠の祝福の王国や束縛や制限もなく終わることのない安らぎを手に入れることができるのです。」

あなたの潜在的な神の存在を主張して下さい。絶えず「サッチダーナンダ・ブラフマン」の意識の中に生き続けることに努力してください。移り変わっていくこの世界の現象を目撃するかのように、在りのままに居なさい。」

恐れてはいけません! あなたたちは、聖なる不滅の魂(真我)であることを知りなさい。変化し続け、いずれ滅びるこの肉体ではないのです。」

「ライオンのように強くなりなさい。すべての弱さ,恐怖、恐れ,執着を根こそぎにしてしまいなさい。さして、完全なる自由というゴールに勇敢に進みなさい。」

「祈りの力は口では言い表せないほど大きなものです。その恵みは言語を絶したものです。誠実で敬虔な者だけがそのすばらしさを実現できるのです。」

あなたをただしい道に導くための最高のガイドは「純粋な心」です。あなたを好ましい人に変えてくれる最高の友人は「純粋で神聖なる愛」です。」

「感覚のコントロールのないところや自制のないところに精神的な成長は決してありません。」

「良いことを考えることによって、その人の本質的な部分が良くなっていきます。そうしてから人はさまざまな悪い誘いを退けることができるのです。」

「苦境に悩まされてはいけません。

それらに耐えなさい。

心を神に向け、獅子のように悠々と歩きなさい。」


———シヴァーナンダ

2013年4月30日火曜日

ユディシュティラの問答


「毎日、太陽が輝くのは何によってか?」
「それはブラフマンの力です。」

「あらゆる危険から人を救うものは何か?」
「勇気です。」

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