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2015年6月14日日曜日

志賢心誠、必ず神に通ず―ラーマクリシュナ・パラマハンサ





神には相形がある、と言い張る人もいるし、
いや、実は無形の大実在だ、
という人もいる。

だから、私はいつも言うんだよ。

姿ある神を信じている人は、
そのお姿を想っていなさい、
無形の実在を信じている人は、
その無相の実在なるものを
瞑想すればいい


とね。

私が言いたいのは、
独りよがりはよくない、
と言うことだ。

つまり、自分の宗教は正しいが
他のは、皆まちがっている、
と思うのが良くないのだ。


「私の宗教は正しい。
だが、他の宗教が正しいか
間違っているか、ホンモノかニセモノか、
そういうことは私にはわからない」

――こう思っているのがいい。

神様に直接会ってみなければ、
あのお方の性質は姿はわからないよ。


志賢心誠、必ず神に通ず




熱心に、真心こめて神に祈りさなさい。

そうすれば、
あの御方は必ず聞き届けてくださる。

あの御方はきっと、
あなたの霊的進歩にとてもためになることだ。

またことによると、ある人の口から
「こうすれば神さまがわかりますよ」
と、言わせて下さるだろう。

熱心、ということがすべてだ。

ヒンズー教でもイスラム教でも
キリスト教でも、

ほかのどんな宗教でも、
とにかく熱心になることが何より大切なこと。

――神さまは、私たちの中にいる導き手なんだからね。


よくない道だってかまわない。

真心こめて信仰していれば、
神さま自身が、より良い道、
より高い道につれていってくださる。

神通力のようなものを求めたり、
現世利益のために信仰しているのは
知性の低い人たちだ。

――でも欲ばりな祈りも
熱心につづけているうちに、
いつのまにか無私な清いものとなってくる。

ドゥルヴァは、領土を獲るために、
必死になって苦行していたら、
至福の神を手にいれてしまった。

彼らは言った。

「ガラス玉を探しにいって、黄金に出くわしたとしたら、そのままにしておけるか?」

―ラーマクリシュナパラマハンサ


2015年6月4日木曜日

神を忘れない‐ラーマクリシュナパラマハンサ



ねえラトゥ、"ここ"を絶対忘れちゃ駄目だよ。

 ラトゥは師との約束通り、生涯を通じてシュリー・ラーマクリシュナの真の召使いであり続けた。
 師を忘れて過ごした日は一日もなく、命令を破った日も一日もなかった。――また、師へのご恩を忘れて過ごした瞬間はひと時もなかった。ドッキネッショルでそうだっただけではなく、シュリー・ラーマクリシュナが亡くなった後も、ラトゥは一つの考え、発想、そして目標に徹した。――師に完全に従うため、そして瞬間といえども彼を忘れないために。

 こうして、神を忘れないというラトゥの約束を聞いて、師はラトゥに、神の召使い(ダーシャ)たるものは一瞬たりとも神を忘れてはいけないという感銘を与え、彼はそれを生涯忘れることは決してなかったのだ。



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 師はラトゥに教えた。

「ラトゥよ、聞きなさい。利益や動機というどんな希望にも揺り動かされてはいけないよ。――お前自身を完全に『彼』に差し出しなさい。

 お前が『彼』を手放さなければ、お前はすべてを得るだろう。手放してしまうと、渇望は残る。あるいは増しさえする。そしてお前を翻弄して、不幸にするだろう。」


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人々には愛と奉仕の精神をもって対さなければならない。
教理や教義に執着するのは、餓えた人に石を与えるようなものである。


―ラーマクリシュナパラマハンサ


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