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2010年1月7日木曜日

不滅の言葉―ラーマクリシュナ・パラマハンサ

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ブラフマンがどんなものか口では言えないのだ。
塩人間が海の深さを測りに行った。どれほど水があるのか報告するつもりだった。でも報告することができなかった。海に入ったとたんにとけてしまったから。
-いったい、誰が海の深さを知らせることができるかね?


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夜空には、たくさん星が見えるが、太陽が昇ると見えない。
あなたは、日中の空には星はない、と言うことができるか。
だから、無知である日々の中に、神を見ないからと言って、
あなたは、そこには神はいない、などと言ってはいけない。


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Ramakrishna Ashram

純粋でなければ、魂は神への真実の愛や理想へのひたむきな帰依心を持つことはできない。心がさまざまの対象を求めてさまよい歩くのだ。


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インド・ニューデリーにあるラーマクリシュナ アシュラムにて


「未熟なエゴ」はその人に、「私は金持ちの息子だ。私には学識がある。私は金持ちだ。私を軽んじる事の出来る者などいるものか」などと感じさせる。「未熟なエゴ」を持つ人はこんな考えを心に抱くものだ。
神をさとることのできない、ある人たちがいる。自分の学識を誇っている人たち、教育を誇っている人たち、または冨を誇っている人たちです。


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もし人が自己を分析するならば、彼は「わたし」をなどというものを見出すことはできない。たとえばたまねぎを見てごらん。まず赤い外皮をむき、それから厚い皮をむく。それを次々にむいていくと、中には何もないことがわかるだろう。
その状態においては、人はもはや彼のエゴの存在を見出さないのだ。
また、そこにそれを探すべき誰が残っているというのだ。


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人は真っ正直でなければ、そう簡単に神への信仰を持つことはできない。
神は、世俗性のしみ込んだ心からは、遠く離れた所にいらっしゃるのだ。
世俗の知恵はさまざまな疑念や、学問とか富とかその他のものを誇るようなさまざまのかたちのプライドなどを作り出す。


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ラーマクリシュナ(Sri Ramakrishna Paramhansa)、本名ガダーダル・チャットーパーディヤーエ、(1836年2月18日 - 1886年8月16日)はインドの宗教家。「シュリ・ラーマクリシュナ・パラマハンサ」と呼ばれるが、「シュリ」は「聖」に当たる称号で、ラーマクリシュナはインドの神、ラーマとクリシュナの合成で、修行者・ヨーギー(ヨーガ行者)としての名である。パラマハンサはヒンドゥー教の神話に登場する霊性の象徴である空想上の天上の聖なる白い鳥を意味する、聖者に対する尊称である。

ラーマクリシュナは近代の代表的聖人と呼ばれ、イギリスの植民地支配が経済の貧困を強め、西洋から流入する文化によって伝統文化が蔑まれた19世紀のインドにあって、インド伝統の豊かな精神文化を体現し、インド人に誇りを取り戻させ希望を与えたという。


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・カーリーを愛し焦がれて
彼が7歳のとき父が死亡し、兄が一家を支えるようになったが、兄はやがてコルカタ(カルカッタ)郊外のダクシネーシュワル・カーリー寺院で働くことになり、ガダーダルもその手伝いをするためコルカタに移り住む。その寺院にはカーリー女神が祭られており、ガダーダルはこの女神をひたすら思慕するようになった。彼は崇拝に熱心なため時間を忘れ、食事も抜かし、夜中でも構わず神像の前に座って供養と瞑想を続けた。しかし女神はなかなか姿を見せない。女神に会えないことに耐えられないガダーダルはもはや現世での生甲斐はないとまで思いつめ、自殺を決意する。寺に安置されていた剣を掴み喉に当てようとしたまさにその時、女神が現れた。世界が消え去り、歓喜の大海原に自分が漂う。その光の海の底に大実母(カーリー)がいた。


この経験を経た後、ガダーダルはサマーディに入ることが非常に多くなる。ちょっとしたきっかけですぐに神と通じてしまうのだ。動物園でライオンを見ればその強大さに神を見て意識を失う。あるイギリスの少年を見たときはその中にクリシュナの姿を見てサマーディに入る。その回数の多さは古今の神秘家の中でも例を見ないほどである。ある時など6ヶ月間もサマーディに入りっぱなしで、周りの人間が無理矢理飯を食べさせねばならなかったという。

主要な弟子の1人で、地元の高等学校の校長を務めていたマヘーンドラナート・グプターは、ラーマクリシュナの言行を書きとどめ『不滅の言葉(コタムリト)』として残した。晩年にはラーマクリシュナは神の権化であると広く認められるようになった。




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