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2010年1月4日月曜日

M(マヘンドラナート・グプタ)の役目


M(マヘンドラナート・グプタ)

ラーマクリシュナの弟子であり、師が話したことや日常を、事細かにメモして日記に残し、本にしました。
後に、『ラーマクリシュナの福音』として、師の教えを世界中に伝えたマヘンドラナート・グプタ。

通称”M”。

彼自身も偉大な聖者で、晩年は多くの弟子にヨーガを教えていました。

そして、パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』にでてくる「至福の聖者」マスター・マハサヤは、このマヘンドラナート・グプタのことなんですね!

さて、どんな人だったか、先生の日記からわかり、またバクティ・ヨーガとはどういう道か、大変勉強になりましたので、ここに抜粋して紹介します。


☆ただの道具☆

わたしが好きな話で、前も言ったけど、ラーマクリシュナとMね。
ラーマクリシュナの弟子の、『ラーマクリシュナの福音』を書いたMっていう人の話で――マヘーンドラナートっていうんだけど――Mっていう人は学校の校長先生をやってて、自分の学校の子供をどんどんラーマクリシュナのところに連れてった。
その中にラーマクリシュナが気に入った、すごい素晴らしい素質を持った子供たちもいて、で、ラーマクリシュナがあるときその子供たちを絶賛するわけだね。
「この子は偉大な魂であって、前生から完成された魂だ」ってすごいべた褒めするわけだね。
「前生から完成されてて、もう本当に使命を持ってここにやってきたんだ」と。
バーッて言った後に、そこにいた人が、「じゃあMは何なんですか?」と。つまりそのような偉大な魂を連れてくるMっていうのはどんな存在なんだって聞いたら、ラーマクリシュナは一言だけ、

「ああ、ただの道具だ」

って(笑)。

で、わたしね、何でそれで感動したかっていうと、それ書いてるのMなんです。
普通さ、もし「ただの道具だ」って言われて、「え! おれは道具かよ」って思ったら、書かないよ、きっと(笑)。でも書いてる。

多分ね、わたしの想像だけど、Mとしては嬉しかったと思う(笑)。つまり、ただの道具っていうのはバクティの最高の理想なんです。

つまり「おれが!」とか「おれは偉大な魂だ!」とかじゃなくて、ただ道具として生きるっていうかな。で、その感覚っていうかな、その感覚をみなさんが身につけられたら相当苦悩は減ります。
ただわたしは至高者によって動かされてるだけだと。例えばそこで生じる成功にしろ失敗にしろ。
あるいは人から言われる善いことにしろ悪いことにしろ、全部神の動かしてる機械の範疇にあるものにすぎないと。
そういう意識だね。これを持つことっていうのはバクティ・ヨーガの一つの基本だね。

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M(マヘンドラナート・グプタ)(1854年 - 1932年)は、ラーマクリシュナの主要な弟子の1人。
1882年に彼が初めてラーマクリシュナに会ったとき、彼は高等学校の校長であった。彼はラーマクリシュナが死去する1886年まで、師を訪れ続け、自己の日記帳に師の教えと会話を書き留めた。
そして、晩年5年間の言行録を、1897年から約35年間かけ 5冊に分けて発表した。
1942年には、英訳されたものが "The Gospel of Ramakrishna" (邦題『ラーマクリシュナの福音』)というタイトルで出版された。

『あるヨギの自叙伝』の "The Blissful Devotee and his Cosmic Romance" という章は、マヘンドラナート・グプタに捧げられたものである。

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Mの伝記はこちらに紹介されています。
1.「ラーマクリシュナの福音」の著者Mの短い伝記(1)

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もっと知りたい方へ、これらの本に訳されています。
1.『不滅の言葉(コタムリト)』
田中嫺玉・奈良毅訳  中公文庫
2.『インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯』
田中嫺玉  中公文庫
3.『ラーマクリシュナの福音』 
マヘンドラナート・グプタ 日本ヴェーダーンタ協会

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