「いつも、すべてにおいて神を唯一なる行為者と見なさい。
それは、心の内側における態度の問題です。それは、他人を感動させるようとする欲求から、神に帰依する多くの者が装う外見上の謙虚さであってはなりません。
このことをよく表している、こんな話があります。
ゴーピー達にとって、新鮮なチーズを毎日クリシュナに届けることは彼女たちの日課でした。しかしある日、ジャムナ川が大洪水になり、ゴーピーたちはクリシュナのところまで渡ることができませんでした。『どうしたらいいのかしら』とみんな嘆いていました。
そこで皆は、こちら岸に住んでいるクリシュナの偉大な帰依者・ビヤサのことを思い出しました。
『ビヤサは聖者だし、彼のところに行きましょう。もしかしたら、奇跡を起こして、なんとか川を渡らせてくれるかもしれないわ』と声を上げました。皆は出かけて、クリシュナのところまで行けるように助けてくださいと頼みました。
『クリシュナ!クリシュナ! いつも、いつも、聞こえるのはクリシュナの名前だけ。私のことはどうなっているのかね?』不機嫌なふりをしてビヤサは大きな声でいいました。
Vyasa(聖仙ビヤサ) |
お腹いっぱい食べられるだけ食べると、どういう訳か河岸の土手まで行き、そこで大声で言いました。
『ああ、ジャムナ川よ、もし私が、何も食べていないと思うなら、川を割って道をつくりたまえ!』
『なんと言う、嘘つき!』ゴーピー達はささやきあいました。『あんなにがつがつ食べていたのに。それを、こんどはよくも川に命じて、何も食べていないことを質にして、従わせようとするなんて!』
ところが、なんと、その瞬間に川は割けはじめ、道ができたのです。この不思議に思案して立ち止まる間もなく、ゴーピー達は競って向こう岸に渡り始めました。そして、クリシュナの庵にそっと近づいてみると、クリシュナは眠っていました。
これはどうしたことか、と皆は思いました。クリシュナは、いつもは庵の外に立って、ゴーピー達がチーズを持って訪ねてくるのを待ちかねていたからです。
『クリシュナさま、今日はお腹がすいていないのですか?』と皆は声をあげました。
『うん……?』眠そうな目を開けてクリシュナが答えました。
「私たち、チーズを持ってきたのですけど、クリシュナさま』
『ああ、ありがとう。でも、もうお腹いっぱいなのだ』とクリシュナは言いました。
『でも、どうしてですか?だれかが、食事をお持ちしましたか?』
『うん、そうだ。向こう岸にいるビヤサが、たらふく食べさせてくれたよ』
つまり、ビヤサはまず、クリシュナに食べ物を捧げていたのだ。そして食べている間ずっと絶え間なくクリシュナのことを思っていた。ビヤサはエゴの意識で食べていたのではなく、自分をとおしてクリシュナが食べているという意識で食べていたのだ。
そのように、すべての人は自分を通して神が働いていることを感じるべきなのです。
『わたしが!わたしが!』と考えるのをやめ、かわりに、心のなかで、いつも『主よ、あなた、あなた、ただ、あなただけが!』と歌うのです」
―パラマハンサ・ヨーガーナンダ