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2015年6月14日日曜日

志賢心誠、必ず神に通ず―ラーマクリシュナ・パラマハンサ





神には相形がある、と言い張る人もいるし、
いや、実は無形の大実在だ、
という人もいる。

だから、私はいつも言うんだよ。

姿ある神を信じている人は、
そのお姿を想っていなさい、
無形の実在を信じている人は、
その無相の実在なるものを
瞑想すればいい


とね。

私が言いたいのは、
独りよがりはよくない、
と言うことだ。

つまり、自分の宗教は正しいが
他のは、皆まちがっている、
と思うのが良くないのだ。


「私の宗教は正しい。
だが、他の宗教が正しいか
間違っているか、ホンモノかニセモノか、
そういうことは私にはわからない」

――こう思っているのがいい。

神様に直接会ってみなければ、
あのお方の性質は姿はわからないよ。


志賢心誠、必ず神に通ず




熱心に、真心こめて神に祈りさなさい。

そうすれば、
あの御方は必ず聞き届けてくださる。

あの御方はきっと、
あなたの霊的進歩にとてもためになることだ。

またことによると、ある人の口から
「こうすれば神さまがわかりますよ」
と、言わせて下さるだろう。

熱心、ということがすべてだ。

ヒンズー教でもイスラム教でも
キリスト教でも、

ほかのどんな宗教でも、
とにかく熱心になることが何より大切なこと。

――神さまは、私たちの中にいる導き手なんだからね。


よくない道だってかまわない。

真心こめて信仰していれば、
神さま自身が、より良い道、
より高い道につれていってくださる。

神通力のようなものを求めたり、
現世利益のために信仰しているのは
知性の低い人たちだ。

――でも欲ばりな祈りも
熱心につづけているうちに、
いつのまにか無私な清いものとなってくる。

ドゥルヴァは、領土を獲るために、
必死になって苦行していたら、
至福の神を手にいれてしまった。

彼らは言った。

「ガラス玉を探しにいって、黄金に出くわしたとしたら、そのままにしておけるか?」

―ラーマクリシュナパラマハンサ


2015年6月4日木曜日

神を忘れない‐ラーマクリシュナパラマハンサ



ねえラトゥ、"ここ"を絶対忘れちゃ駄目だよ。

 ラトゥは師との約束通り、生涯を通じてシュリー・ラーマクリシュナの真の召使いであり続けた。
 師を忘れて過ごした日は一日もなく、命令を破った日も一日もなかった。――また、師へのご恩を忘れて過ごした瞬間はひと時もなかった。ドッキネッショルでそうだっただけではなく、シュリー・ラーマクリシュナが亡くなった後も、ラトゥは一つの考え、発想、そして目標に徹した。――師に完全に従うため、そして瞬間といえども彼を忘れないために。

 こうして、神を忘れないというラトゥの約束を聞いて、師はラトゥに、神の召使い(ダーシャ)たるものは一瞬たりとも神を忘れてはいけないという感銘を与え、彼はそれを生涯忘れることは決してなかったのだ。



----------------------


 師はラトゥに教えた。

「ラトゥよ、聞きなさい。利益や動機というどんな希望にも揺り動かされてはいけないよ。――お前自身を完全に『彼』に差し出しなさい。

 お前が『彼』を手放さなければ、お前はすべてを得るだろう。手放してしまうと、渇望は残る。あるいは増しさえする。そしてお前を翻弄して、不幸にするだろう。」


----------------------


人々には愛と奉仕の精神をもって対さなければならない。
教理や教義に執着するのは、餓えた人に石を与えるようなものである。


―ラーマクリシュナパラマハンサ


2014年9月25日木曜日

ラームラーラー

要約・ラーマクリシュナの生涯(16)「ラームラーラーへのヴァーッツァリア・バーヴァ」より

1864年頃、ドッキネッショルに、ジャターダーリーという修行者がやってきた。彼は礼拝の対象として童子ラーマチャンドラの像を持っており、長年にわたって深い愛を込めてこの像に仕えているうちに、彼の心は深いプレーマ(神への至高の愛)の状態に没入した。彼は時々、光り輝く童子ラーマのヴィジョンが瞬間的に現れ、彼を至福で包むのを経験した。そしてさらに修行が進むに連れて、そのヴィジョンはさらに強烈になっていった。そしてついにはそのヴィジョンは一般に外界のものを普通に目で見るのと同じようにハッキリとしたものとなり、また時間的にも長く続くようになった。
このように神への愛に満ちた瞑想状態に常に入りつつ、彼はほとんど絶え間なく、童子ラーマと一緒の世界に暮らしながら、インド国内の様々な聖地を遍歴していた。そしてついにこのドッキネッショルへとやってきたのだった。

このようにジャターダーリーは頻繁に童子ラーマの姿を眼にしていたけれど、そのことを誰にも明かさないでいた。しかしゴダドルは、初対面のときに、ジャターダーリーがそのような境地にあることを見破った。そのためゴダドルはジャターダーリーを尊敬し、彼がラームラーラーへの奉仕に必要とする品々を喜んで提供した。
ハヌマーン

もともとゴダドルの家の神はラグヴィール(ラーマ)であり、また前述のようにハヌマーンのムードのダーシャ・バーヴァの修行に没頭しているときも、ゴダドルはラーマへの深い愛と信仰の中にあった。そして今、ジャターダーリーと会い、会話を交わすことによって、ゴダドルの中に、主ラーマへの愛と信仰が再び甦った。そしてジャターダーリーが礼拝しているラームラーラーの像の中に、ゴダドルもまた、主ラーマの童子の姿をハッキリと見た。

ゴダドルは以前に家の神ラグヴィールへの礼拝のためのラーマのマントラを授けられていたが、今度は童子ラーマ(ラームラーラー)への母親としての愛の態度のためのマントラをジャターダーリーに授けられ、そのサーダナーに没頭すると、わずか数日間で、童子ラーマの神聖なヴィジョンを常に見るようになった。

ゴダドルの心は、ジャターダーリーが持つその童子ラーマへの母性愛でいっぱいになり、母親が自分の幼子に対して感じるような素晴らしい愛と執着を童子ラーマに感じるようになった(ヴァーッツァリア・バーヴァ)。ゴダドルは時を忘れて、ジャターダーリーの童子ラーマの像のそばにいつもいるようになった。なぜならこの光輝く童子ラーマは、様々な子供らしい愛らしい仕草をして、ゴダドルに他の一切のことを忘れさせるのだった。またこの童子ラーマはいつもゴダドルがいる方向を見つめてゴダドルが来るのを待っており、またゴダドルが来るなと言っても聞かずに、ゴダドルが行くところどこにでもついてきた。

この頃のことについて、後にラーマクリシュナはこう語っている。

2014年9月15日月曜日

なぜあなたは私をお作りになったのですか

「それはつまり、一切のものを捨てて神に呼びかけよ、ということだ。彼のみが実在、他のすべては幻である。神の自覚無しには、あらゆるものが無意味である。これが偉大な秘密なのである。」

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

熱心に神に祈ることだ。神はまさに我々の身内でいらっしゃる。我々は、彼に『おお神よ、あなたはどのようなお方なのですか。ご自身を私にお示しください。あなたは私にご自分を見せてくださらなければ行けません。そうでなければ、なぜあなたは私をお作りになったのですか』と言うべきなのだ。

2014年9月9日火曜日

純粋真我(シュッダアートマ)

(問) 神は言葉と心を超越したもの――つまり、心で感得することもできないのではないでしょうか?
いや。――この普通の心で感得できないのはたしかだ。しかし、純粋な心で感得できる。普通の知性ではわからないが、純粋な知性でわかる。
女と金への執着がとれさえすれば、心と知性が清浄になる。
純粋な心と、純粋な知性とは同じものだよ。
神は純粋清浄な心でとらえられるものだ。

2014年7月27日日曜日

スワミ・プレーマーナンダの教え

◎ある僧への手紙

一般の人々から援助を受けない限り、どうしてあなたが「ホーム・オブ・サービス(奉仕の家)」を運営できるだろうか? もちろん、人々に援助を求めてもよい。
だが、一人の人間の援助に完全に頼りきるのはよくない。

名誉と称賛への欲望を、主にすべて明け渡しなさい。
たとえあなたの道に多少の名誉や称賛がやってきたとしても、それがあなたを害することはないだろう。
主の信者たちは、自由な時を生きている。
英雄のように振る舞いたまえ。――主の御力の中で強くなりなさい。
もしいくらかの弱さが生じたら、人けのないところで主に祈りなさい。
彼は強さと正しい理解をあなたにお与えになり、彼ご自身のもとへあなたを導いてくださるだろう。

どんな仕事をやり始める前にも、主を思いなさい。そして、彼を拠り所とし、ただの道具としてそれをやるように試みるのだ。
主のみが完全な行為者であると、いつも心に留めておきなさい。主におまかせするならば、悪が生じることは決してないのだ。
わたしもまた、シュリー・ラーマクリシュナの恩寵を通じて、あなたが礼拝として、また彼を喜ばせるためだけにすべての仕事を遂行できるように、あなたを祝福する。

主の御意思のみが為される。

しかし、ごく平凡な一個人が、どのようにして彼の御意思を知り、理解することができるのだろうか?
彼を思い続けることが、人間の一つの義務なのだ。

幸福と苦しみ――すべてを彼におまかせするのだよ。
わたしたちはどんな状況のもとでも満足していなければならない。
わたしたちは彼のものであるのだから、彼がわたしたちに望まれるように、彼におまかせしなさい。

この世が利己主義に満ちているというのは、わかりきったことである。
しかしそうはいっても、人間はこの世で生き続けなければならないのだから、世間の人たちは利己主義だといつまでも考え続けることは虚しいことだ。
人は深い熟考と吟味を通してこの事実の真理を十分に理解した後で、仕事に就くべきである。

―――――――――――――――――――――――――

◎利己主義

2014年7月20日日曜日

思い出して

「法の道はまことにきびしい。欲望が一つでもあると至聖にとどくことはできない。針に糸を通すのに、一つでもケバがあったらだめだ。ギーターのなかで、クリシュナ神がアルジュナにおっしゃっている――わたし(神)のところに来ようと思ったら、八大神通力の一つでも持っていてはだめだ、と。
どうしてか、わかるかね? 神通力などを持っていると、人間は必ず高慢になる。高慢、増上慢、これが神を忘れさせるのだ。超自然能力とか霊能力とか、ああいうものにとらわれていたら、迷妄から脱けることはできない。我執が深まるばかりだ」
――ラーマクリシュナ


思い出して

心の中のあのヴリンダーヴァンで
今日もクリシュナの笛の音が
正しく生きなさいと 歌っているよ
僕がついているからと ほほえんでるよ

花咲き乱る あのヴリンダーヴァンで
今日もクリシュナが美しい
孔雀の羽 揺らして 遊んでいるよ
鈴の音 響かせて 踊っているよ

心の中のあのヴリンダーヴァンで
今日もクリシュナが麗しい
早く思い出してと 叫んでいるよ
一緒に遊んでいた 至福の日々を

顔を上げれば あの空いっぱいに
今日もクリシュナが愛おしい
誰も憎まないでと 叫んでいるよ
すべては僕なんだよと ほほえんでるよ

耳を澄ませば あのヴリンダーヴァンで
今日もクリシュナの笛の音が
正しく生きなさいと 歌っているよ
僕を思い出してと ほほえんでるよ





2014年7月19日土曜日

鼓舞する言葉

人間に生まれるという、稀なる特典を得ても、
今生で神を悟れなければ、生まれた意味がない。
――ラーマクリシュナ・パラマハンサ
―――――――――――――――――
「すべてを受け入れることが成長の印です。」
 ――ヴィヴェーカーナンダ
―――――――――――――――――
「自分で自分を尊敬できないものを他人が尊敬してくれますか?
 たとえ死ぬ運命にあろうとも……
私は勇者のように、最高に気高く死にましょう!」
―インドラジット(メーガナーダ)
インドラジット―実写ドラマ・ラーマーヤナ 第88話


2014年6月25日水曜日

カーリー讃歌2ーーkali maa !

この世の海に漕ぎだした私の小舟は
大実母よ、今にも沈みそうです!
迷妄の嵐は烈しく 無智の霧はたちこめ
マ-よ、心細さはつのるばかり……
”心”という名の舵取りは下手で
”感情”という名の漕ぎ手は頑固
死にもの狂いに気はあせっても
ただアプアプともがくばかり
”愛情”の舵柄は見るかげもなく壊れ
”自信”の白帆はズタズタに裂け
私の舟はもう転覆してしまいそう
マ-よ、どうしたらいいでしょう!?
なすすべもない今となっては
なりふりかまわずハダカになって
聖なるドルガの御名の筏を(ドルガ=大実母の一名)
しっかりつかんで波間を泳ごう

我執のあるうちは真の自由はない。
我執のあるうちは苦悩は絶えない。
カーリー母さま 玩具を作り
シャーマ母さま 玩具を作り(カーリーの愛称。)
五尺あまりの 玩具のなかで
ゆかいな遊びを してみせる
あなたは玩具の なかにいて
たくみな糸で あやつるが
玩具はそれを 知らないで
自分で動くと 思っている
玩具がそれを 知ったとき
もうそのときは 玩具じゃない
信仰の糸で 母さまの
シャーマをさえも 縛ります




2014年6月22日日曜日

カーリー讃歌--KALI MAA



ラーマクリシュナは、
宇宙の大原理=根元を、静=不動とみるときブラフマンと称び、
動=変化活動するとみるとき(創造、保存、破壊)、
それを根元造化力(アデャシャクティ)と称ぶ、と説明している。
このアデヤシャクティを神格化したのが、カーリー女神である。
大実母カーリーである(カーリーは″黒″の意)。

2014年6月14日土曜日

【おすすめの本】聖者の生涯 第二巻 その①ヴィヴェーカーナンダ

↑聖者の生涯 第二巻。
(この本は電子化してみました)

先日友人のMさんが、
「ナーグマサハーシャヤの生涯を読んで感動したんですよー!」
と教えてくれました。「味覚に囚われるのなくすために、自分も米ぬかを食べようと思ったんですよー」と。それで私も彼らしい感動ぶりに影響を受けて、久しぶりに本を読み返してみたら、とても感動してしまいました。
この感動を忘れないうちに書いておきます。

2014年6月10日火曜日

サーダナーの果実を味わうには

ナーグ・マハーシャヤ

「サーダナー(成就法)の方法に関して言えば、必要な唯一のことは、果実の木の下で常に用心深く、寝ずの番をしている人のように、いつも精神を完全に目覚めさせておくことです。

人間は、神が無限の思寵を通してそれを許す場合に限リ、彼のサーダナーの果実を味わうことができるのです。

さらに付け加えれば、明らかに、われわれの側からの激しい働きかけがなくても、主の圧倒的な恩寵が与えられる事があリます。それはたとえば睡眠中に、主が天上から、サーダナーの果実を彼らの上に滴リ落とすようにあらわれるのです。彼らは目覚めて、自分自身と世界の大いなる驚異が与えられたことを理解するのです。このような場合には、いかなるストレスもサーダナーの苦労も経験しません。このような人々はクリパーシッダとして知られています。

2014年3月27日木曜日

このニンニクの臭いは消えるものでしょうか

シュリ・ラーマクリシュナはドッキネッショルに帰ろうとなさった。彼はかつてある信者に、ギリシュについてこうおっしゃったことがあった、
「ニンニクの汁を入れた器は千回洗っても臭いをとることはできない」ギリシュはこの言葉に腹を立てた。師が帰ろうとなさったとき、ギリシュは言った。

ギリシュ「このニンニクの臭いは消えるものでしょうか。」

師「そうだ、消える。」

ギリシュ「消える、とおっしゃるのでございますね。」

師「燃える火がつけられるとすべての臭いは消える。それは新しい器になるのだ。自分は成功しない、と言っている人間は決して成功しない。自分は解放されている、と感じている人はほんとうに解放されている。束縛されていると感じている人は、まさに束縛されたままで、いる。『私は自由だ』と力強く言う人は確実に自由だ。昼も夜も『私は来縛されている』と言っている人は確実に束縛されている。」


ラーマクリシュナ


2014年3月4日火曜日

不滅の言葉(コタムリト)

聖ラーマクリシュナ
『私はマーにお祈りするとき、こう言ったよ。
マー、ほかにわたしは何もいらない。
純粋な信仰心だけをおくれ、とね』


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* * * * * *

神への愛はすべての修行にまさる

信仰こそ、この世でいちばんたいせつなもの。
正しい信仰をもっ人には、何一つ恐れることも悩むこともない。
字宙の大実母がすべてを見ていて下さる。護って導いて下さる。

* * * * * *

信仰によって神を見ることができる。
しかし、それは"愛の信仰"とか"赤熱の信仰" というような、成熟した信仰でなければだめだよ。あの御方を心の底から好きになることだ。―子が母を慕うように、母が子を愛するように、妻が夫を恋うるようにね。
神に対してこのような信仰をもつようになると、妻子、親戚、友人などに盲目的に執着するということがなくなる。
慈悲の気持をもっているだけだ。
この世はどこか外国の土地で、ただちょっと仕事をしに来ているだけ…という感じになる。郷里に家やしきがあるのだが、カルカッタに仕事があるから、そのためにカルカッタに家を借りて住んでいる、というわけさ。
神さまが好きになると、現象世界への執着や、俗っぽい感覚からすっかり脱け出せるようになるよ。

* * * * * *

神のほんとうの信者は、あくせく働かなくとも、神さまが彼に必要なものをみな与えて下さる。
王様の正統な息子には、毎月じゅうぶんな手当が支給される。わたしは弁護士やなにかのことを言っているんじゃないよ。彼らは苦労して、お客のドレイになって金をかせぐ。わたしはホンモノの王様のことを言っているのさ。
ホンモノの信者は、何の欲もなくて金のことなど気にしないが、金は自然に入ってくる。
バカバッド・ギータに書いてあるように、「おのずから入るもので満ち足りる」

―不滅の言葉(コタムリト)-聖ラーマクリシュナ

関連記事:なぜあなたは私をお作りになったのですか
関連記事:ブラフマーナンダ




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2014年2月22日土曜日

純粋の愛とは何か

「私の息子よ、君が私を観察しているときには、私も君を観察している。
 あることを知っているか。人びとは、霊性とは何か、ということを知らない。この世界で、彼らの大部分は、純粋の愛とは何か、ということを知らない。どのように愛するか、ということを知らない。にもかかわらず、みなが、他の人びとに愛されることを期待する。
 彼らは、私が彼らの難問を解決することを期待して、私に会いにくる。私は彼らに、いっさいを神にお話しせよ、彼が苦痛を除いて下さる、と話してやる。 

2014年2月10日月曜日

私たちがエゴを放棄しない限り、神は私たちの重荷を引き受けてはくださらない

 私たちがエゴを放棄しない限り、神は私たちの重荷を引き受けてはくださらない

あるとき、ラクシュミー女神と至高者ナーラーヤナとがヴァイクンタにいらっしゃったが、ナーラーヤナがにわかに立ち上がられた。
彼の足をさすっていたラクシュミーが、
『主よ、どこにおいでになるのでございますか』
と問われると、ナーラーヤナが、
『私の信者の一人がたいそう危ない目にあっている。助けてやらなければならない』
とお答えになった。

こう言いながら彼は出て行かれたのだが、すぐに戻っていらっしゃった。
ラクシュミーが、
『主よ、なぜこんなに早くお帰りになったのでございますか』
と問われると、ナーラーヤナは微笑しておっしゃった。

『この信者は私への愛に心を奪われて道を歩いていた。
数人の洗濯夫が草の上に着物を干していたのだが、信者はその着物の上を歩いてしまった。これを見た洗濯夫たちは男を追いかけ、持っている棒で打とうとした。それで私は彼を守るために急いで外に出たのだ。』

そして、
『それなのになぜすぐに帰っていらっしゃったのでございますか』
というラクシュミーの問いに、ナーラーヤナは笑って、
信者が自分で、彼らに投げつけようとしてレンガを拾うのを見たのだよ。(みな笑う)それだから戻ってきたのだ』とおっしゃった。



――「ラーマクリシュナの福音」より

2013年8月7日水曜日

クリシュナ ジャヤンティ 2013 Hare Krishna


 Say: Hare Krishna Hare Krishna Krishna Krishna Hare Hare Hare Rama Hare Rama Rama Rama Hare Hare


「これ以上推理をするでないよ。覚えておいで。たとえどんなふうに呼びかけたとしても、神は現れてくださるのだよ。
 自分の性質に合わせて神を礼拝しなさい。

 すべての道の目的地は神だ。彼はどんな道でも悟ることができる。――しかしだ、人は誠実にならなければいけない。これはギーターで述べられていることだ。
 常に神に呼びかけ、サーダナを実践しながら、神への愛と渇仰を培っていくのだよ。
 このようにして神の恩寵によって愛と信仰を得たとき、心は無智から生じるエゴから解放されるというわけだ。

 自分の意志で何かをするなどということがあってはならないのだよ。
 すべては神のご意思通り。操り人形は、糸につられてステージのうえでたいそううまく踊るだろう。――でもね、彼らは糸がプッツリ切れると動けなくなってしまうのだよ。
 だから、よく考えて、識別する必要があるということだ。そうやってのみ、エゴは心から去っていくのだよ。
 金持ちの貴族は、自分の豊かさに傲慢になってのぼせ上がっているからね。彼らは神を忘れてしまっているのだよ。
 神を思う人が唯一の真実であり、世俗的な所有に対して無執着である。その人だけが彼を悟るのだよ。
 すべてを放棄した人にとって、神はすべてにおなりになっている。」

―ラーマクリシュナ


「バクティヨーガフェスタ」
http://www.bhaktiyoga-festa.com/
1.開催日程
日時:2013年8月25日
場所:大阪市中央区伏見町3-3-3 芝川ビル4F

大きな地図で見る

◆地下鉄御堂筋線「淀屋橋」駅11号出口より徒歩1分(詳細:
http://www.bhaktiyoga-festa.com/#!access/cz0i
入場料:無料

開場:10:00~
イベントスタート:10:30~
閉場:19:00


「誰もが神の愛に浴している。
しかしその恩恵に気づける者は稀である。」



2013年7月9日火曜日

あなたの御足の下に

「限りなき智慧として 主よ
私の魂に 入りたまえ。
すると、騒がしき心は、鎮まりて
あなたのお姿に言葉を忘れ、
あなたの御足の下に避難所を見いだすでしょう。」


‐ラーマクリシュナの福音


2013年6月29日土曜日

『私意識』アハンカーラ


「この「私」・自我とは、あのお方自身が置いておかれたのです。
この自我・私とは、あのお方の遊び、あのお方の遊技です。」 

「神に心を置く、そのような人こそ真の人間です。
更には、神聖な意識を持つ人、たとえば、神の意識のある人、純粋精神に目覚めている人、そのような人たちは、神が真実で、その他一切は無常である。
と、間違いなく知っています。」

「私という意識があるあいだは、どうしても相対界(転変の世界)を棄てることは出来ません。
これではない、これではない、と否定を重ね、瞑想のヨーガによって、人は実体・ブラフマンに到達することが出来るのです。」

「あなた方個人の存在は、どこにあるのですか?
あのお方が、すべてのものになっておられるのです。
そのお方を知らない間、「私」、「私」と繰り返しているだけです
すべての人が、あのお方を知ることが出来ます。すべての人が救われるでしょう。
ところがある人は朝のうちに食べることが出来、ある人は昼の時間に、ある人は夕暮れになります。
しかし、誰も食事無しに終わる人はいません。
すべての人が、自分自身の本来の姿を知ることが出来るでしょう」

「あの方を誰が知ることができるでしょうか?
私は知ろうなどと試みたことはありません。
わたしはあのお方を、ただお母さん、と言って呼びます。
母は好きなようになさいます。
あのお方の思し召しでないなら、思し召しではないことを知らせてくださるでしょう。」

「神は、あそこ、あそこと感じている間は、その人は無知です。
神はここ、ここと、知ったら、その人はブラフマンの明知を得ます。
心の清らかなる人は、決して、そのような富や、力や、神通力を神に祈りません。
心の底から真剣であれば、世俗にあっても神を得ることができます。
「私が」、「私のもの」これが無知です。
おお神よ、それは「あなたです」、そして「すべてはあなたのものです」これが明知です。」

―ラーマクリシュナ


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心もまた『自己』ではない。なぜならばそれは『私意識』アハンカーラの結果である。
ブッディ(知性)について言うならば、それはプラクリティが変容したものであり、『自己』ではない。

真我は、純粋意識であり、至福である。彼には生と死のような変化がない。そして肉体と心の結合から離れている彼は、ただのそれらの目撃者であり、監督者である。
彼は彼が顕現するものを通じての一切の付加物から離れている。彼は自ら、永遠に純粋なのだ。

そのように真我を知るならば、人は輪廻の束縛からの解脱を得る。
ゆえに、私は今御身に、究極の解脱に達するための手段をお教えいたそう。

おお、智者よ! 心して聞くがよい。
まず最初に、マハーヴィシュヌへの信仰を培いたまえ。それは御身の知性を浄化し、御身はそれによって純粋なる叡智をも得るであろう。
それから、御身は永遠に純粋な叡智と、影響を受けることなき真理を得るであろう。この叡智が完全に確立されるならば、御身はブラフマンの至高なる境地に達するであろう。
それゆえに、あらゆる信仰心を抱き、ハリそのものであられ、プラクリティを超越し、一切に遍在するラクシュミーの夫であられるラーマ様を礼拝するのだ。

己の愚行と敵対心を捨て去れよ。自己を明け渡したすべての者たちにとって愛おしきラーマ様の御足に避難せよ。
御身の息子、縁者と共に、シーター様をラーマ様のもとにお連れして返還し、降伏の印として完全なる礼拝を捧げるのだ。
そうすれば、御身は恐怖から解放されよう。
思慮なき者が、いかにして、至福の本質であり、非二元の存在であり、一切の者の胸の中に住まう至高なる真我であられるラーマ様のもとに、完全なる信仰を持って避難することなく、荒れ狂う波の輪廻の海を渡ることなどができようか?
もしそのようにしなければ、無智という炎に焼かれることから誰からも守ってもらえることなく、御身は霊性の堕落の深みに沈んでしまうのだぞ。
御身は、輪廻の辛苦から引き上げられる好機を得ることは決してなかろう。」

-ハヌマーンのラーヴァナに対する説教

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