今日はシヴァラートリーです。
シヴァラートリーとは「シヴァの夜(ラートリー)または吉兆の夜」という意味です。シヴァラートリーは、毎月、満月から13日夜/14日目にあたります。しかし、特にパールグナ月(マーガ月となる地域もあります。2月~3月)のシヴァラートリーは、マハー・シヴァラートリーと呼ばれ、一年の内でもっとも神聖な夜として知られています。
大脳の中の花弁は、千弁の蓮華。
霊性の師の部屋で、それが遥かな秘密の場所。
その蓮華に日輪の形で、至高のシヴァは存在し、唯一であって、
白色の千弁の蓮華は花開き、花芯にあって、そこにシヴァの光輪は輝き、
あなたがそこに上ると、シヴァ自身の姿となる。
そして純粋精神シヴァそのものと一つになる。
-ラーマクリシュナ パラマハンサ
オーム、
私は思考器官にあらず、知性や自我意識や心にあらず。
聴覚にあらず、味覚にあらず、嗅覚にあらず、視覚にあらず。
虚空に非ず、地に非ず、火に非ず、水に非ず、風に非ず。
私は、純粋な意識と至福そのもの。
私はシヴァである、私はシヴァである。
私は生気に非ず、五風に非ず、七つの要素に非ず、五つの蓋被にあらず。
手に非ず、舌に非ず、生殖器官に非ず、排泄器官に非ず。
私は、純粋な知識と至福そのもの。
私はシヴァである、私はシヴァである。
私は、好き嫌いに非ず、貪欲、迷妄に非ず。
利己心を持つに非ず、自尊心を持つに非ず。
善行に非ず、救いに非ず、欲望に非ず、心の対象に非ず。
私は、純粋な知識と至福そのもの。
私は、シヴァである、私はシヴァである。
私は徳に非ず、罪に非ず、喜びに非ず、悲しみに非ず。
聖句に非ず、聖地に非ず、ヴェーダに非ず、供儀にあらず。
私は食べる行為に非ず、食べるものに非ず食物に非ず。
私は、純粋な知識と至福そのもの。
私は、シヴァである、私はシヴァである。
私には、死はなく、恐怖はなく、カーストの区別はなく。
父もなく、母もなく、生まれることもなく。
友もなく、仲間もなく、師匠もなく、弟子もない。
私は、純粋な意識と至福そのもの。
私は、シヴァである、私はシヴァである。
私は心象を超え、形を持たず、遍在者であり。
私は一切処にあって、感覚にとらわれず。
私は、知られうるものに非ず、解脱するものに非ず。
私は、純粋な知識と至福そのもの。
私は、シヴァである、私はシヴァである。
-ラーマクリシュナ パラマハンサ
シヴァラートリーとは「シヴァの夜(ラートリー)または吉兆の夜」という意味です。シヴァラートリーは、毎月、満月から13日夜/14日目にあたります。しかし、特にパールグナ月(マーガ月となる地域もあります。2月~3月)のシヴァラートリーは、マハー・シヴァラートリーと呼ばれ、一年の内でもっとも神聖な夜として知られています。
大脳の中の花弁は、千弁の蓮華。
霊性の師の部屋で、それが遥かな秘密の場所。
その蓮華に日輪の形で、至高のシヴァは存在し、唯一であって、
白色の千弁の蓮華は花開き、花芯にあって、そこにシヴァの光輪は輝き、
あなたがそこに上ると、シヴァ自身の姿となる。
そして純粋精神シヴァそのものと一つになる。
-ラーマクリシュナ パラマハンサ
オーム、
私は思考器官にあらず、知性や自我意識や心にあらず。
聴覚にあらず、味覚にあらず、嗅覚にあらず、視覚にあらず。
虚空に非ず、地に非ず、火に非ず、水に非ず、風に非ず。
私は、純粋な意識と至福そのもの。
私はシヴァである、私はシヴァである。
私は生気に非ず、五風に非ず、七つの要素に非ず、五つの蓋被にあらず。
手に非ず、舌に非ず、生殖器官に非ず、排泄器官に非ず。
私は、純粋な知識と至福そのもの。
私はシヴァである、私はシヴァである。
私は、好き嫌いに非ず、貪欲、迷妄に非ず。
利己心を持つに非ず、自尊心を持つに非ず。
善行に非ず、救いに非ず、欲望に非ず、心の対象に非ず。
私は、純粋な知識と至福そのもの。
私は、シヴァである、私はシヴァである。
私は徳に非ず、罪に非ず、喜びに非ず、悲しみに非ず。
聖句に非ず、聖地に非ず、ヴェーダに非ず、供儀にあらず。
私は食べる行為に非ず、食べるものに非ず食物に非ず。
私は、純粋な知識と至福そのもの。
私は、シヴァである、私はシヴァである。
私には、死はなく、恐怖はなく、カーストの区別はなく。
父もなく、母もなく、生まれることもなく。
友もなく、仲間もなく、師匠もなく、弟子もない。
私は、純粋な意識と至福そのもの。
私は、シヴァである、私はシヴァである。
私は心象を超え、形を持たず、遍在者であり。
私は一切処にあって、感覚にとらわれず。
私は、知られうるものに非ず、解脱するものに非ず。
私は、純粋な知識と至福そのもの。
私は、シヴァである、私はシヴァである。
-ラーマクリシュナ パラマハンサ