↑聖者の生涯 第二巻。 (この本は電子化してみました) |
「ナーグマサハーシャヤの生涯を読んで感動したんですよー!」
と教えてくれました。「味覚に囚われるのなくすために、自分も米ぬかを食べようと思ったんですよー」と。それで私も彼らしい感動ぶりに影響を受けて、久しぶりに本を読み返してみたら、とても感動してしまいました。
この感動を忘れないうちに書いておきます。
【本の概要】
この本は、ラーマクリシュナの三人の弟子たちの生涯をまとめた本です。
一人目はヴィヴェーカーナンダ。
二人目は在家信者のナーグマハーシャヤ。
そして三人目はゴーパーラマーです。
聖者の生涯って不思議なもので、いつも読むたびに感動する部分が変わるんですね。いつもはゴーパーラマーを読んで感動していたのですが、前回と今回とでは心に響く部分が違っていました。今の自分の状態を神が見て、「感動を選んで」私に与えてくださっているような、世俗的な思考から、グッと引っ張ってくれるような、「釣り針」みたいです。
今回は感動した部分を少しだけ紹介したいと思います。
第一話、世界的に有名になったヴィヴェーカーナンダ。彼の生涯は有名ですので、ネットで検索することもできますし、私も以前に紹介しました。まだ紹介していない部分で、彼の同朋に対して言った言葉が、何故かドキっとしました。
「あなたのいうバクティは、人を無力にする、感傷的で愚かなものです。
あなたは自分が理解した聖ラーマクリシュナを説こうとしている。しかしその理解は浅いものだ!そんなもの振り棄てなさい!
あなたのラーマクリシュナなんかに、誰が目を輝かせますか。あなたのいうバクティや解脱に誰が注意を向けますか。あなたの聖典が述べることに、誰が耳を傾けますか。
もし私がタマスに沈んでいるわが同朋を、自力で起き上がるように目覚めさせ、そしてカルマ・ヨーガの精神によって彼らを奮い立たせることができるならば、私は喜んで千の地獄にも落ちていこう。
私はラーマクリシュナの、また誰の信奉者でもなく、自己のバクティや解脱に心を奪われる者でもあリません。ただ他人のために奉仕し、援助する人の信奉者です!」
感情の高まリで声は詰まリ、体は震え、目は燃えるように輝いていました。そしてヴィヴェーカーナンダは隣の部屋へと消えました。兄弟弟子たちが心配して見に行くと、ヴィヴェーカーナンダは半ば閉じた眼に涙を浮かべて、瞑想にふけっていました。
一時間ほどして瞑想から立ち上がると、ヴィヴェーカーナンダは再び兄弟弟子たちのところへやってきました。彼は冷静さを取リ戻しておリ、穏やかにこう言いました。
「人がバクティ(神への信愛)に到達したときは、その心と神経は、花に触れることさえも耐えられないほど、実に柔らかで繊細になるのです。
私は圧倒されずに、聖ラーマクリシュナのことを思ったり語ったりすることはできません。だからいつもジュニャーナの鉄の鎖で自らを縛リつけようと努めています。なぜなら、母国のための仕事がまだ終わっていないし、世界へのメッセージがまだ十分に伝えられていないからです。
神への愛の感情が湧き出て、自分がそれに没入しようとしているのに気づくと、私はそれを激しく鞭打ち、厳しいジュニャーナによって、自分を石のように竪囲にします。
ああ、私にはなさねばならない仕事があります。私はラーマクリシュナのしもべです。師は、なすべき師の仕事を私に残された。その仕事をなし終えるまで、私に休息は与えられません。ああ、私は師のことをどのように話せばよいのだろう。私に対する師の愛を!」
あなたは自分が理解した聖ラーマクリシュナを説こうとしている。しかしその理解は浅いものだ!そんなもの振り棄てなさい!
あなたのラーマクリシュナなんかに、誰が目を輝かせますか。あなたのいうバクティや解脱に誰が注意を向けますか。あなたの聖典が述べることに、誰が耳を傾けますか。
もし私がタマスに沈んでいるわが同朋を、自力で起き上がるように目覚めさせ、そしてカルマ・ヨーガの精神によって彼らを奮い立たせることができるならば、私は喜んで千の地獄にも落ちていこう。
私はラーマクリシュナの、また誰の信奉者でもなく、自己のバクティや解脱に心を奪われる者でもあリません。ただ他人のために奉仕し、援助する人の信奉者です!」
感情の高まリで声は詰まリ、体は震え、目は燃えるように輝いていました。そしてヴィヴェーカーナンダは隣の部屋へと消えました。兄弟弟子たちが心配して見に行くと、ヴィヴェーカーナンダは半ば閉じた眼に涙を浮かべて、瞑想にふけっていました。
一時間ほどして瞑想から立ち上がると、ヴィヴェーカーナンダは再び兄弟弟子たちのところへやってきました。彼は冷静さを取リ戻しておリ、穏やかにこう言いました。
「人がバクティ(神への信愛)に到達したときは、その心と神経は、花に触れることさえも耐えられないほど、実に柔らかで繊細になるのです。
私は圧倒されずに、聖ラーマクリシュナのことを思ったり語ったりすることはできません。だからいつもジュニャーナの鉄の鎖で自らを縛リつけようと努めています。なぜなら、母国のための仕事がまだ終わっていないし、世界へのメッセージがまだ十分に伝えられていないからです。
神への愛の感情が湧き出て、自分がそれに没入しようとしているのに気づくと、私はそれを激しく鞭打ち、厳しいジュニャーナによって、自分を石のように竪囲にします。
ああ、私にはなさねばならない仕事があります。私はラーマクリシュナのしもべです。師は、なすべき師の仕事を私に残された。その仕事をなし終えるまで、私に休息は与えられません。ああ、私は師のことをどのように話せばよいのだろう。私に対する師の愛を!」
次はナーグマハーシャヤを紹介したいと思いますが、また次回に。