「自分を信じること、神を信じること。これが偉大さの秘訣である。」
「立ち上がれ、目覚めよ。ゴールに到達するまで立ち止まるな。」
「千回やって失敗したら、もう一回やればいい。」
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信仰の道は自然で楽しい。
哲学は、山の川の流れを無理やりその源流に戻すような道である。それはより迅速な方法ではあるが、とても難しい。哲学の道は、「すべてを遮断せよ」と言う。
信仰の道は、「その流れにすべてをおまかせしなさい。永遠に自己を明け渡しなさい」と言う。それはより長い道のりではあるが、より簡単で幸福な道だ。
「私は永遠に汝のものです。これからは私が何をしようとも、それはあなたが行なっているのです。もうそこには私もなければ、私のものもありません。
捧げられるお金もないし、学ぶための脳みそもない。またヨーガを実践する時間もないし、あなたに、ああ、愛しき主よ、私は私自身を、身も心も捧げます。」
どのような無智や間違った考えも、その魂と神との間に障害を置くことはできない。
たとえそこに神がおられなくとも、なお、愛にしがみつきなさい。
腐肉を探す犬のようであるより、神を探して死ぬ方がましである。最高の理想を選び、あなたの人生をそれに捧げなさい。死は確実に来るのだから、偉大なる目的のために人生を捧げること、それが最高である。
愛は努力なく、哲学の到達へと導いてくれる。そして叡智の後に、パラーバクティ(至上の愛)が訪れる。
智慧の道は批判的な道であり、すべてのものごとに対して大いに気をもむ。しかし愛は、「神は彼の本性を私に現してくださる」と言い、そしてすべてを受け入れるのである。
-ヴィヴェーカーナンダが、アメリカの少数の弟子たちに対して説いた教え
「失敗を気にするな。それは自然なことだ。
失敗、それは人生の美だ。
もがき苦しむことがなければ人生に意味はない。詩もなくなってしまうだろう。
苦しみや間違いを気に病むな。
私は牛が嘘をつくのを聞いたことがない。牛はただの牛であって、人間ではないのだ。
だからこれらの失敗や小さな後退を気にするな。
千回でも理想を掲げよ。
そして、もし千回失敗したら、さらにもう一度チャレンジせよ。」
「友よ、なぜ泣いているのか。君の中には無限の強さと力があるではないか。それを現したまえ。」
「強さは生(せい)であり、弱さは死だ。弱さを克服するには、弱いことをいつまでも考えるのではなく、強さを考えることだ。」
「君たちは神の子供だ、罪人などではない。君たちは、完全で神聖で純粋なのだ。人を罪人と呼ぶことが罪なのだ。」
「私心のないことは神である。」
「本当の宗教とは 自分の内に永久なるものは無いのかと問いかけて、自らの中にその回答をもって終わる。」
「私は一人の真実の人間をそだてるためなら千回でも地獄に行く!」
――スワミ ヴィヴェーカーナンダ
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