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2015年11月23日月曜日

「三十七の菩薩の実践」



13世紀のチベット仏教サキャ派の修行僧であり学僧であるギャルセー・トクメー・サン­­ポが、一見机上の空論で終わってしまいがちな大乗の菩薩行を、実践的に37項目で美­し­く記した作品。

この詞章を、合計100回を目指し、日々唱えるとよいでしょう。



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【三十七の菩薩の実践】


ギャルセー・トクメー・サンポ作

ナモー ローケーシュヴァラーヤ

優れた師であり、救済者である観自在菩薩に、常に三門で恭しく礼拝いたします。観自在菩薩は「一切の法則は去ることも、来ることもない」とごらんになりつつ、しかも輪廻する衆生のために一心に励んでいらっしゃるのです。
一時的な幸せと究極的な幸せを生じる源である諸々のブッダは、正しい法則を完成することでブッダとなり得ました。それは法則を実践することの内容を知り、それを実際に行なったからなのです。これより菩薩の実践について述べることといたします。


大きな船のような有暇具足をそなえた有意義で得難い生を受けた今生で
自他共に輪廻の海から救われるために
昼夜を問わず怠けずに聞き、考え、瞑想すること
それが菩薩の実践である


身内に対しては愛情を水のように注ぎ
敵に対しては憎しみを炎のように燃やす
善悪の見境がつかない愚かさは真っ暗な闇
故郷を捨てること、それが菩薩の実践である


悪い故郷を捨て去れば煩悩は次第に消え去っていく
怠けず励む者の功徳は自ずと増えていく
智性が澄めば教えに信が生ずる
「静謐な場所」に安らぐ心、それが菩薩の実践である


長い間親しくしている友と離れ
努力して得た財産を後に残し
「肉体」という宿を「心」という客が去っていく
今生を捨てること、それが菩薩の実践である


交われば三毒が増大し
聞くこと・考えること・瞑想することの行がおろそかになり
慈悲がなくなり始める
そのような悪い友を捨てること、それが菩薩の実践である


その人に従えば欠点がなくなって
功徳が上弦の月のように満ちてくる
そのような善友を自分自身の身体よりも大切にする
それが菩薩の実践である


自らも輪廻の牢獄にとらわれている
世俗の神に一体誰を救うことができるのか
それ故、救いを求めても欺くことのない三宝に帰依をする
それが菩薩の実践である


「きわめて耐え難い悪趣の苦しみは
罪業の結果である」と釈迦は説かれた
そのため命を落とそうとも罪業を行わない
それが菩薩の実践である


三界の幸せは草の葉の露のごとく
瞬時に消え去るものである
いかなる時にも変わらずに解脱の最高の境地を目標とする
それが菩薩の実践である

10
無始以来より私を愛してくれた母たちが
苦しみもがいているならば、自身の幸せなど何になろうか
それ故、限りなき衆生を救うために菩提心を生起させる
それが菩薩の実践である

11
あらゆる苦しみは自らの幸せを追い求めることより生じ
悟りは他者のためを思うことにより生ずる
それ故、自己の幸せと他者の苦しみをまさしく交換する
それが菩薩の実践である

12
何者かが大きな欲望で私の財産を
すべて奪おうとして盗みに入ったとしても
身体と財産と三世の善の集積のすべてを差し出す
それが菩薩の実践である

13
自らの過ちが認められないにも関わらず
何者かが私を斬首刑に陥れたとしても
哀れみの心でその罪を自ら被る
それが菩薩の実践である

14
ある者が私に対して様々な誹謗中傷を
三千大千世界にあまねく触れ回ったとしても
慈愛の心で繰り返しそのものの功徳を称賛する
それが菩薩の実践である

15
大勢の者が集まる中である者が
私の過失を掘り起こし罵声を浴びせかけても
その者を善友と思って敬意を払う
それが菩薩の実践である

16
我が子のように大切に育てた者が
私を敵のように見なしたとしても
病気のわが子に接する母のようによりいっそうの愛を注ぐ
それが菩薩の実践である

17
私と同等か、それより劣る者が
慢心を起こして私を軽視したとしても
師のように尊敬し自らの頭頂にいただく
それが菩薩の実践である

18
生活に困窮し、常に人より軽蔑され
ひどい病苦や悪霊に憑かれても
それでも一切衆生の罪業と苦しみを受けて疲れることを知らない
それが菩薩の実践である

19
称賛され、大勢の者が頭をたれ
毘沙門天の財宝と同じものを手にしても
世間の豊かさには本質がないと見ておごらない
それが菩薩の実践である

20
自身の中にある怒りという敵を調伏しないなら
外側の敵を倒しても憎しみはますます増大するばかり
それ故、慈愛と哀れみという軍隊で自身の心を征服する
それが菩薩の実践である

21
欲望の特性というのは、塩水を飲めば飲むほど渇くのと似て
どんなに満足してもさらにむさぼりたくなる
欲望が起きた対象はいかなるものでもすぐに捨てる
それが菩薩の実践である

22
いかなる現象もそれは自身の心であり
心の本性は本来戯論【けろん】より離れている
そのように理解して主体・客体の諸相に気をとらわれてしまわない
それが菩薩の実践である

23
意識がとらえる歓びの対象は
夏の盛りの虹の色彩のごとくに
美しい現象であっても実体のないものとして執着を捨てる
それが菩薩の実践である

24
様々な苦しみは、夢の中の子供の死のように
錯誤を実体あるものととらえることにより生じた疲れ
それ故、たとえ逆境に遭遇したとしても錯誤と見なす
それが菩薩の実践である

25
悟りを得るために、この身さえ犠牲にする必要があるのなら
外側のものなど、なにをかいわんやである。
見返りや成果を期待せずに布施を行ずる
それが菩薩の実践である

26
戒律を守らずして自利の完成はない
それでいて利他を成し遂げる願いをもっても、お笑いぐさである
それ故、世俗の欲を放棄して戒律を遵守する
それが菩薩の実践である

27
善という財を求める諸菩薩を
傷つけてしまう者もまた、尊い宝も同然である
それ故、あらゆる者に恨みを持たず忍耐を修習する
それが菩薩の実践である

28
自利のみを得ようとする多聞、独覚も
頭に移った火を消すような努力をしている
すべての衆生のために、功徳の源泉となる精進に励む
それが菩薩の実践である

29
「止」を伴った優れた「観」が
煩悩を克服するのをよく知って
四つの無色界の瞑想を超越した瞑想を修習する
それが菩薩の実践である

30
智慧のない五つのパーラミターだけならば
完全なる悟りを得ることはできない
それ故、パーラミター行を伴った三輪無分別智を修習する
それが菩薩の実践である

31
自らの過ちを分析しない者は
修行者の姿をした非修行者である
それ故、常日頃より過ちを見抜いて捨てる
それが菩薩の実践である

32
煩悩に駆られて菩薩の方々の
過ちを非難するならば、それを言った菩薩自身が堕落する
それ故、大乗の道に入った者の過ちを口にしない
それが菩薩の実践である

33
富と名声に駆られ争いとなり
聞く・考える・瞑想することがおろそかになる
それ故、親友やご支援くださる人々に対しての甘えを捨てること
それが菩薩の実践である

34
汚い言葉が他者を動揺させ
菩薩行のあり方を弱めることになる
それ故、他者の心を害するような汚い言葉を捨てること
それが菩薩の実践である

35
煩悩になれれば制することが難しくなる
念と正智という対治の刃を手に取り
欲望などの煩悩が起こるやいなや刈り取ってしまう
それが菩薩の実践である

36
要約するなら、どこでもどんなときでも何をしようとも
自らの心のありようがどんな状態であっても
常に念と正智を利用して利他を成し遂げようとする
それが菩薩の実践である

37
以上のように精進して、成し遂げられた諸善を
限りなき衆生の苦しみを取り除くため
三輪無分別智により、悟りを得るために回向すること
それが菩薩の実践である



スートラとタントラとアビダルマに説かれている内容を、諸賢の言葉に従って、菩薩の三十七の実践として、菩薩道を実践したい人のために著しました。浅学非才で諸学者の好む文章が記せないため、経典と賢者の言葉に準拠して、菩薩の実践を誤りなく正確に記そうと思慮しました。けれども、菩薩道は広大であり、私のような知力の劣る者には、その奥底は理解しがたく、矛盾や無関係などの過失の集積になってしまいました。諸賢方よ、お許しください。
これによって生じた善があるならば、その善によってすべての衆生が勝義と世俗の二つの菩提心を起こし、輪廻とニルヴァーナのどちらにも住することなく、救済者である観自在菩薩と等しい境地に至ることができますように。

記した内容は自他のためになる言葉であり、学僧でありビックであるトクメー・サンポが、グルチュー・リンチェン・プクというところで記したものです。



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