最新記事

2012年4月28日土曜日

「実体」は様々の名を持つ一つのもの。

ため池にはいくつかの階段がついている。その中の一つで、ヒンドゥたちは水差しに水をくみ入れてそれをジャルと呼ぶ。他の階段で、マホメット教徒たちは革袋に入れてそれをパーニと呼び、第三の階段ではキリスト教徒たちが汲んでそれをウォーターと呼ぶ。「水はジャルではない。パーニかウォーターである」などと思う事ができるか? 何という不条理なこと!

「実体」は様々の名を持つ一つのもの。そして各人が、その同一の実体を求めているのだよ。
世界中の諸宗教は、それらの階段のようなものである。どの階段でもよい、まじめに、熱意に満ちてまっすぐに降りていけ。必ず、永遠の至福という水に達するであろう。しかし、自分の宗教は他の宗教より良い、と言ってはいけない。

――ラーマクリシュナ・パラマハンサ

LinkWithin

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...