放棄は、本当の放棄が何を意味するかについての全き知識とともに成されるときにのみ、効力を示すことができる。その知識は自己探求の熟考の末にやってくるものであり、つねに自己放棄に終わる。ジュニャーナと主への絶対放棄には何の違いもない。あえて言うならば、それは、言葉と行為である。完全であるためには疑いの余地なく放棄が必要である。帰依者は主と取引することもその御手の愛を要求することもできない。このような全的な放棄は、すべて包含する。それがジュニァーナでありヴァイラギャ(沈静)であり、帰依であり愛である。
――ラマナ・マハリシ
――ラマナ・マハリシ