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2014年7月13日日曜日

【おすすめの本】聖者の生涯 第二巻 その② ナーグマハーシャヤ


前回のつづきで、今日は『聖者の生涯 第二巻』からナーグマハーシャヤのお話を紹介したいと思います。

至高者の召使―すべての人の奉仕者として

あるときは、もっと質素な生活をするのを考え、米ぬかを食べようしたり、プラサード(神に捧げられたお供物のお下がり)のお皿代わりの普通は食べない葉っぱまで食べてしまって(お皿代わの葉っぱもプラサードと考えているため)、次からナーグマーシャヤに出した場合は葉っぱをすぐ取り上げるということになったり、心に悪い思いが浮かんだものなら、頭をガンガン打ちつけるというエピソードが沢山あります。

この彼の行動は、現代の観念から考えた場合、「愚直」だと言うのかも知れませんが、その背景にあるのは「神への純粋な帰依信」からであって、神に対して誠実に行動をとった結果なのだとわたしは感じたのでした。

何回か読んでいるのですが、先日は寝る前に読んでいたら、この果物を差し出した後の記述に涙が込みあげてきて、「これなんだ、これなんだよね」という思いが湧いていました。

三日目にナーグは、手にアマラキーの果実を一つ持って、ラーマクリシュナの前にあらわれました。
ラーマクリシュナの喜びには際限があリませんでした。子供のように大喜びして、こう言いました。
「ああ、何と美しいアマラキーだろうーおまえはどうやってこの果実を見つけてきたのだい。」

その後、ラーマクリシュナは、ナーグに食事を用意するようにと、弟子のシャシに命じました。シャシは言われたとおりに用意しましたが、ナーグは手をつけようとはしませんでした。皆が勧めても、黙ったままでした。実はこの日は断食の日だったので、ナーグはそれを固く守っていたのです。

シャシからその報告を受けたラーマクリシュナは、ナーグの食事を持ってくるように言いました。そして食物の一つ一つにほんの少しずつ舌を触れて、その食事をプラサード(神や師にささげられた供物のお下がり)にしました。
「さあ、これを彼に与えなさい。きっと食べるだろう。」
ナーグの前にそれがならべられると、ナーグは、
「プラサード! プラサード!神聖なプラサード!」
と叫び、皿の前にひれ伏してから、食べ始めました。

師が食べたいと言っているものを何とかして探し出した姿。師のお下がりを前に歓喜する姿。純真さ。

彼はグル・バクティヨーガの見本のような方です。


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