”大いなる真剣をもって”――。それは、注意力のすべてと心のすべてを注いで、必ず成功してみせるという固い信念をもって、という意味である。世俗の事柄や、人聞を獲得しようとするときでさえ、人は夜も昼もそれに励む。眠るのを忘れ、食べることも忘れて、精魂を傾ける。世俗的な事柄を達成しようとするときにさえこの条件が必要なら、ヨーガの成功にはいったいどれほどのものが必要だろう? そうだ、今日播いた種がどれぐらい根を張ったか知りたくて、翌日にはそれを掘り返してみるというような、子供じみた真似はやめよう。われわれにはこれらの三つの資質、すなわち忍耐と献身と信念が必要である。
ここへ来るといつも私は、ヒンドゥーの聖典に出てくる小話を思い出す――
天人の住むデーヴァ・ローカすなわち天界に、ナーラダと呼ばれる大仙人がいる。(偉大なヨーギーというものは、ちょうどこの地上にもいるように、神々の世界にもいるのである。)このナーラダというのは、あらゆる世界を経巡っている仙人で、ときにはわれわれ人聞がどんなふうに暮らしているかを見るために、この地上にもやって来る。
ある日彼が森の中を通りかかると、あまりにも長い間膜想していたために、全身がびっしり蛾塚で覆われてしまったヨーギーに出会った。そのヨーギーがナーラダを見て言った、
narada |
「ナーラダ様、どこへいかれるのですか?」
「天界へ――、シヴァ神の御許へ。」
「ああ、では一つお願いしたいことがあるのですが……」
「何だ? 言ってごらん。」
「私があと何回生まれ変わって瞑想を続けなければならないか、主から聞き出してきてはいただけないでしょうか? 私はもうずいぶん長い間、ここでこうじて座り続けているのです。ですから、どうぞよろしくお願いします。」
「いいとも。」
何マイルか先へ行くと、ナーラダはまた別の人聞に出会った。こちらは喜々として跳んだりはねたりしながら、
「ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレ、ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ」と歌っていた。そしてナーラダを見つけると、
「こんにちは、ナーラダ様! どちらへいらっしゃるのですか?」
「天界だ。」
「わあ いいなあ。じゃあ、あとどれくらいの問、私がここでこうやっていなければならないか、調べてきてはもらえませんか? 私がいつ最終的な解脱を得られるのかを――」
「いいとも、そうしよう。」
それから何年かが過ぎて、ナーラダはまた前と同じ道を通りかかった。すると、またあの一人目の男に出会った。彼はナーラダを認めて――
「ナーラダ様、今日まであなたから何のご返事もいただけませんでしたが、天界へは行かれたのですか? 主は何とおっしゃっていました?」
「主に聞いてみたのだが、おまえはあと四回の生まれ変わりが必要とのことだった―」
「えっ、あと四回も! これだけ待ったのに、まだ足りないのですか?」
そう言うと彼は泣きじゃくり始めた。
ナーラダはもう一人の男のところへ行った。すると彼もいまだに歌ったり踊ったりしていた。
「ナーラダ様、どうでした? 私のこと、何かわかりましたか?」
「ああ」
「じゃあ、教えてください。」
「そこに木があるだろう?」
「ええ」
「その木の葉の数が数えられるかい?」
「もちろん。それくらいの根気なら、私にだってありますよ。今すぐ数えてみましょうか?」
「いやいや、ゆっくりやればいい。」
「ところで、それと私の質問と何か関係があるのですか?」
「ああ、シヴァ神は、おまえはあの木の葉の数と同じ回数だけ生まれ変わらねばならないと言ってておられた――」
「おお、それだけでいいんですか? じゃあ少なくとも限りがあるわけだ。さあこれでどこで終わるかがわかったぞ。よかった、それならすぐにやってしまえる。神様、ありがとうございました! あなたは、この森にあるすべての木の葉の数だけ、とはおっしゃらなかった。」
そのとき、天から美しい駕寵が降りて来て、その御者が言った――
「どうぞお乗りください。シヴァ神がこの乗り物をあなたのために遣わされました。」
「私のために? 私に今すぐ天界へ来いとおっしゃるのですか?」
「そうです。」
「でも、私は何度も生まれ変わらねばならないと、たった今ナーラダ様がおっしゃったば かりですが……」
「そのとおりです。しかしあなたは、もうとっくにそのつもりになり、喜んでそれをしようとし
ておられました。ですからあなたはもう待つ必要はありません。さあ参りましょう。」
「では、あの人はどうなるのですか?」
「彼はたった四回の生まれ変わりに対してさえ、心の準備ができていません。彼にはあのようにさせておきましょう――」
これはただのお話ではない。そこに託された真理は、よくわかるだろう。もしあなたがそれほどまでの忍耐を持ち合わせているならば、心はより安定しており、あなたの為すことは、より完全であるだろう。心が定まらず、成果を得ることだけに汲々としているならば、すでにそのことによってあなたの心は乱れており、そのような心によって為された事柄には、いかなる尊さもない。したがって、どれほど長い間修習するかということだけが問題なのではなく、どのような堅忍、どれほどの熱意、そしていかにすぐれた内実を持っているかということが問題なのだ。
――スワミ・サッチダーナンダ