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2012年4月18日水曜日

入菩提行論

私は、私自身を、勝者とブッダの子とに残り無くささげる。
衆生の最高者たちよ。私を受け入れたまえ。
私は熱烈なバクティ(信愛)をもって、あなた方の召使となる。
あなた方に受け入れられれば、それによって私は恐れるところ無く、輪廻界において衆生のためになることを行なう。
そして以前作った悪に打ち勝ち、重ねて他の悪を行なわない。

(第2章より)


汝が自己の利益を追求している間に、無量のカルパが過ぎ去った。
その大きな骨折りによって、汝はただ苦しみだけを得た。
そこで、私の懇請にしたがって、汝は遅疑なく、それ(利他行)のために身をささげよ。
それが後に有利となることを、汝は見るであろう。なぜなら、ムニ(聖者)の言葉は確かであるから。
もし過去に汝によってこの(利他の)行為がなされたならば、仏陀としての至上の安楽に達したであろう事はもちろん、かかる(惨めな)状態は現われなかったであろう。
それゆえ、無関係の赤白二滴において、汝が自我意識を構成したように、それを他人においても認識せよ。
他人のために密偵となれよ。そして、この身に何でも(有用と)認めたものがあれば、その一つ一つを取り出して、他人のためになることを行なえ。
(第8章より)


自我を楽から振り放せよ。そして他人の苦しみに当たらせよ。
「この者がいつ何をなすか」と、この者の欺瞞を省察せよ。
他人によってなされた過失までも、この者の頭上に落ちさせよ。この者の過失は、わずかであっても、マハーム二(大聖者)の前に明らかにせよ。

他人の大きな名声を称えて、この者の名声を曇らせよ。卑しい奴隷のように、衆生の用にこの者を供えよ。
この者は過失に満ちている。だから偶発的なわずかの徳でほめるに値しない。この者の徳を誰も認識しないようになすべきである。

要するに、自我のために汝が他人を害した――その害悪の一つ一つを、衆生を利益するために、自我にこうむらせよ。

この者に饒舌【じょうぜつ】となるような力を与えるな。恥じらい深く、臆病に、内気に、花嫁のような状態にあらしむべきである。
「かようになせ、かく振舞え、これをなすな」と、かようにこの者を汝の支配下に置くべきである。そして命令に背くときは、罰すべきである。
(第8章より)


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