十五年間も瞑想を続けて、何の進歩も見なかった人がいる。それはなぜか。熱心さ、離欲、強い魂の解放への欲求、そして激しい不断の修行がなかったからである。
修行者の間でも、かような不平を聞く。「私は十二年間瞑想してきたのに、何の進歩もない。悟りも開けない。」――なぜか。何が原因なのか。
それは、深い瞑想に没頭して、自分のハートの一番奥まで深めなかったからである。
正しく消化吸収して、神の思いで心を満たさなかったからである。
規則的に修行をおこなわなかったからである。
感覚器官を正しく調御しなかったからである。
心が外に出て行こうとする傾向を完全に抑えて、心を集中しなかったからである。
『今この瞬間に悟るぞ!』という強い決意がなかったからである。
心のすべてを、百パーセント神に向けなかったからである。
途切れのない油の流れのように、神の意識の流れを自分の内に増して行かなかったからである。
何年間か修行した後、進歩しているかどうかチェックしなければならない。十分注意深くしていないと、離欲が薄れ、瞑想の熱意が衰え、退歩する。後戻りする。
いつも神のことを思えば、そのうち必ず神を知る。
――スワーミー・シヴァーナンダ