『あなたの精神的指導者を崇めなさい。そして聖者たちを崇めなさい。
過去の偉大な聖者たちの教えに、真摯な信仰を持ちなさい。
決して、感覚の奴隷になってはいけません。
世俗的な知識の収集に満足してはいけません。
神の偉大さと彼の創造物の不可思議についての本を、繰り返し読みなさい。
もし偶然にも、あなたがグルの恩寵によって智慧を輝かせることに成功したならば、感覚の対象に魅力を感じる事は絶えるでしょう。すべての感覚に無関心でいることを学びなさい。
神の御名と栄光を口にするのと同じくらい何度も、神の信者たちの名前と栄光を話すことを喜びなさい。
覚えておきなさい。神の信者に奉仕する者は、素早く神を実現するでしょう。
どんなにあなたが賢くても、神と神の信者への奉仕にあなた自身を捧げることがなければ、あなたは救われないでしょう。
決して、私欲を満たす手段としてヴィシュヌ派教団の生活を考えてはいけません。理想を実現するためだけに努力しなさい。』
『1日のうち少なくとも1時間は、あなたのグルの偉大さを瞑想しなさい。
そして毎日、アルヴァースや他の聖者たちの神聖な書物を読みなさい。
いつも、神に没頭する道を行く仲間といることを求めなさい。そして「救済に導かれる他の道があるよ」という者たちを避けなさい。
汚い金儲けや感覚の楽しみを追及する人々と関わってはいけません。
できる限り神の信者と交わりなさい。
神の神聖な像をただの石だと見る者や、彼ら自身の精神的な指導者を普通の人間と見る者、カーストの高低によって優れた信者たちを見る者、一切の罪を浄化し洗い流すパワーを持ったグルの御足に触れた神聖な水を普通の水と変わりないと言う者、神聖なマントラをただの音の集まりだという者、至高の神々の世界をデーヴァよりも高くないという者は誰でも――苦しみから救うべき者達なのだと見なしなさい。』
ラーマヌージャがこの説法を終えた時、弟子たちは、
「私たちの命がこの体から旅立つまでは、この世でどのように生きていけばいいでしょうか。もう一度お説き下さい」
とラーマヌージャにお願いしました。ラーマーヌジャはこう答えました。
『真に神の御足に自己を投げ出した者は、将来についてどんな思考も向けてはなりません。それは、全面的な彼への自己の明け渡しです。
――その繋がりの中では、ほんの少しの心配でもあるならば、それは自己放棄という名の偽善的行為だとあばかれます。
人生のすべては、過去のカルマによって決定されています。――だから、それを嘆き悲しむのは適切ではありません。
あなたの義務の遂行を、現世的な目的を叶えるための手段として考えるべきではありません。それらを至高者への奉仕であると見なさい。』
『シュリーバーシャを研究し、それを他の人に教えなさい。――これが神への最大の奉仕になります。
それが可能でなければ、聖サタクローパとその他の偉大な魂が書いた聖なる書物を勉強しなさい。そして資質のある弟子に教えなさい。
それが可能でなければ、地球上にある数々の聖地で、神への奉仕にあなたの人生を費やしなさい。
そうでなければ、ヤーダヴァードリ(メールコーテー)に粗末な小屋を建て、そこで完全に平穏に暮らしなさい。
または、あなたが背負っているすべての重荷を神に手渡し、ドヴァヤマントラの瞑想に没頭して、今いるところに留まりなさい。
もしこれらの一つも実行することができないなら、智慧と信仰と無執着に満ちた聖者を探しなさい。彼に従い、彼とともに動きなさい。あなたのすべてのエゴを根こそぎ引き抜いて、彼の言葉に忠実に従いなさい。――それがあなたを救う手段なのです。』
『この地上にある生命の中で、注意深い選別によって、あなたはあなたの友人と敵と無関心な相手を見分けなさい。聖者はあなたの友人です。神を嫌う人たちはあなたの敵です。現世に執着している人たちには無関心でよろしい。
良質のキンマや花や香りに出合ったときのように、あなたは友人(聖者)を目にすることを喜びなさい。
敵(神を嫌う人)を見たときには、蛇やトラや火などに出くわしたときのように恐れなさい。
無関心な者(現世に執着する人)に出会った時には、切り株や石ころを見たときのように、全く気に掛けなくてよろしい。
そのような態度が、神に庇護を求めた者の態度です。聖者である友人とのつながりは、あなたの精神に光を与えてくれるでしょう。
敵(神を嫌う人)を避け、無関心でいるべき人(現世に執着する人)たちに関しても、彼らに話しかけないようにしなさい。現世的な利益があなたに増してしまうから、彼らに敬意を払わないようにしなさい。そのような利益は、すぐにあなたを神の敵にしてしまうだろうから。
慈悲に満ちたすべての方々は、あなたが祈るすべての事に応える準備をして、待っていらっしゃるということを覚えておきなさい。決して敵(神を嫌う人)を求めてはいけません。』