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2014年3月27日木曜日
Mere Guru Dev
Mere Gurudev, charanon par sumana shraddha ke arpita hai
(我がグルよ、あなたの御足に、私の浄信の花々を捧げます。)
Tere hee dena hai jo hai. Wahi tujha ko samarapita hai
(わたしのすべては、あなたがお授けくださったものです。)
My Gurudev I offer these flowers of my faith at your feet
Whatever I have, you have given to me, and I dedicate it all to you.
Na priti hai pratiti hai,
(私には愛もなく、あなたのことも理解していません。)
na hi puja ki shakti hai
(あなたを礼拝する強さですら持っていません。)
Meraa yaha man, meraa yaha tan, meraa kan kan samarapita hai
(しかし、この私の身口意、私の細胞すべてに至るまで、すべてをあなたに捧げます。)
I have no love, nor do I know you.
I don’t even have the strength to worship you,
But this mind of mine, this body of mine,
my every atom is dedicated to you.
Tuma hee ho bhaava men mere,
(あなたは私の心に住まわれし唯一の御方)
vicharon mein, pukaron mein.
(私はあなただけを思い、あなただけに呼びかけるのです。)
Banaale yantra ab mujhko
(私をあなたの道具にしてください。)
mere saravatra samarapita hai
(私のすべてをあなたに捧げます。)
You are the only one in my heart and my thoughts.
You are the one who I call out to.
Now Make me your instrument…all I am I offer to you
このニンニクの臭いは消えるものでしょうか
シュリ・ラーマクリシュナはドッキネッショルに帰ろうとなさった。彼はかつてある信者に、ギリシュについてこうおっしゃったことがあった、
「ニンニクの汁を入れた器は千回洗っても臭いをとることはできない」ギリシュはこの言葉に腹を立てた。師が帰ろうとなさったとき、ギリシュは言った。
ギリシュ「このニンニクの臭いは消えるものでしょうか。」
師「そうだ、消える。」
ギリシュ「消える、とおっしゃるのでございますね。」
師「燃える火がつけられるとすべての臭いは消える。それは新しい器になるのだ。自分は成功しない、と言っている人間は決して成功しない。自分は解放されている、と感じている人はほんとうに解放されている。束縛されていると感じている人は、まさに束縛されたままで、いる。『私は自由だ』と力強く言う人は確実に自由だ。昼も夜も『私は来縛されている』と言っている人は確実に束縛されている。」
「ニンニクの汁を入れた器は千回洗っても臭いをとることはできない」ギリシュはこの言葉に腹を立てた。師が帰ろうとなさったとき、ギリシュは言った。
ギリシュ「このニンニクの臭いは消えるものでしょうか。」
師「そうだ、消える。」
ギリシュ「消える、とおっしゃるのでございますね。」
師「燃える火がつけられるとすべての臭いは消える。それは新しい器になるのだ。自分は成功しない、と言っている人間は決して成功しない。自分は解放されている、と感じている人はほんとうに解放されている。束縛されていると感じている人は、まさに束縛されたままで、いる。『私は自由だ』と力強く言う人は確実に自由だ。昼も夜も『私は来縛されている』と言っている人は確実に束縛されている。」
ラーマクリシュナ
2014年3月14日金曜日
集中と熟考
ああ、信仰心厚き天女よ、おまえたちがダルマを修めようと考えるなら、集中と熟考をおこなうべきである。
外界の出来事を放棄することは、おまえたちの飾り。
ああ、外的世界のとらわれからの救済を、心にとめておくがよい。
沈着と注意深さによって、平穏にあらねばならぬ。
栄光とは、心と言葉が同じであること。
栄光とは、多くの行為の放棄。
おまえたちの心を乱す、不愉快な状況に会うならば、自らを見張って油断せず、己を諭せ。
「怒りの危険はすぐそこにやってきている」と。
心を動かす富と遭遇するとき、自らを見張って油断せず、「愛著の危険がやってくる」と、自らを統御しなさい。
感情を害する、無礼な言葉を耳にすることがあれば、自らを見張って油断せず、己に気づかせよ。
「不快な響きは幻聴に過ぎぬ」と。
仲間と交際するときは、己を注意深く見張って、自らに諭せよ。
「嫉妬心を心に起こさせるな」と。
奉仕や布施に精進するときは、用心して己に諭せよ。
「心せよ、うぬぼれが心の内に生じないように」と。
常に、あらゆる方法で、自らを見張り、常に、内在する邪悪な思いに打ち勝とうとつとめよ。
日常の行為の中で、いかなるものに遭遇しようとも、空と幻という本性について熟考しなければならぬ。
ここに幾百人の聖者や学者が集おうともこれ以上のことを語ることはできないであろう。
あなた方、皆に幸福と繁栄がありますように。
あなた方、皆の心が喜びに満ちて、ダルマの修行に精進できますように。
―ミラレパ「ミラレーパと鳩」より
外界の出来事を放棄することは、おまえたちの飾り。
ああ、外的世界のとらわれからの救済を、心にとめておくがよい。
沈着と注意深さによって、平穏にあらねばならぬ。
栄光とは、心と言葉が同じであること。
栄光とは、多くの行為の放棄。
おまえたちの心を乱す、不愉快な状況に会うならば、自らを見張って油断せず、己を諭せ。
「怒りの危険はすぐそこにやってきている」と。
心を動かす富と遭遇するとき、自らを見張って油断せず、「愛著の危険がやってくる」と、自らを統御しなさい。
感情を害する、無礼な言葉を耳にすることがあれば、自らを見張って油断せず、己に気づかせよ。
「不快な響きは幻聴に過ぎぬ」と。
仲間と交際するときは、己を注意深く見張って、自らに諭せよ。
「嫉妬心を心に起こさせるな」と。
奉仕や布施に精進するときは、用心して己に諭せよ。
「心せよ、うぬぼれが心の内に生じないように」と。
常に、あらゆる方法で、自らを見張り、常に、内在する邪悪な思いに打ち勝とうとつとめよ。
日常の行為の中で、いかなるものに遭遇しようとも、空と幻という本性について熟考しなければならぬ。
ここに幾百人の聖者や学者が集おうともこれ以上のことを語ることはできないであろう。
あなた方、皆に幸福と繁栄がありますように。
あなた方、皆の心が喜びに満ちて、ダルマの修行に精進できますように。
―ミラレパ「ミラレーパと鳩」より
2014年3月4日火曜日
不滅の言葉(コタムリト)
聖ラーマクリシュナ |
『私はマーにお祈りするとき、こう言ったよ。
マー、ほかにわたしは何もいらない。
純粋な信仰心だけをおくれ、とね』
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* * * * * *
神への愛はすべての修行にまさる
信仰こそ、この世でいちばんたいせつなもの。
正しい信仰をもっ人には、何一つ恐れることも悩むこともない。
字宙の大実母がすべてを見ていて下さる。護って導いて下さる。
* * * * * *
信仰によって神を見ることができる。
しかし、それは"愛の信仰"とか"赤熱の信仰" というような、成熟した信仰でなければだめだよ。あの御方を心の底から好きになることだ。―子が母を慕うように、母が子を愛するように、妻が夫を恋うるようにね。
神に対してこのような信仰をもつようになると、妻子、親戚、友人などに盲目的に執着するということがなくなる。
慈悲の気持をもっているだけだ。
この世はどこか外国の土地で、ただちょっと仕事をしに来ているだけ…という感じになる。郷里に家やしきがあるのだが、カルカッタに仕事があるから、そのためにカルカッタに家を借りて住んでいる、というわけさ。
神さまが好きになると、現象世界への執着や、俗っぽい感覚からすっかり脱け出せるようになるよ。
神のほんとうの信者は、あくせく働かなくとも、神さまが彼に必要なものをみな与えて下さる。
王様の正統な息子には、毎月じゅうぶんな手当が支給される。わたしは弁護士やなにかのことを言っているんじゃないよ。彼らは苦労して、お客のドレイになって金をかせぐ。わたしはホンモノの王様のことを言っているのさ。
ホンモノの信者は、何の欲もなくて金のことなど気にしないが、金は自然に入ってくる。
バカバッド・ギータに書いてあるように、「おのずから入るもので満ち足りる」
* * * * * *
神のほんとうの信者は、あくせく働かなくとも、神さまが彼に必要なものをみな与えて下さる。
王様の正統な息子には、毎月じゅうぶんな手当が支給される。わたしは弁護士やなにかのことを言っているんじゃないよ。彼らは苦労して、お客のドレイになって金をかせぐ。わたしはホンモノの王様のことを言っているのさ。
ホンモノの信者は、何の欲もなくて金のことなど気にしないが、金は自然に入ってくる。
バカバッド・ギータに書いてあるように、「おのずから入るもので満ち足りる」
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2014年3月2日日曜日
心の解放と精神の導師
ミラは困惑の極致だった。そんな彼をみかねたグルの妻は、彼をラマ・ゴクパのもとに送った。ゴクパは彼になにがしかの教えをあたえた。しかし、なんの進歩もなかった。
ラマの許可がなければ、どんな教えも力をもたないことが、これでわかった。ゴクパは、ミラをマルパのもとに送りかえした。数日間は、何事もなく過ぎた。
しかし、ある儀式がおこなわれている最中に、マルパはその場にいあわせた者のすべてを、手ひどくしかりつけた。この中にはラマ・ゴクパも混じっていた。ミラはラマの怒りの意味を理解して、深い絶望におそわれた。自分の存在が、ゴクパや奥さんにとんでもない迷惑をかけている。そう思った彼は、絶望のあまり自殺をはかった。
ラマ・ゴクパが自殺を止めた。そのとき、ようやく、マルパの怒りが静まった。グルはミラを身辺に呼び寄せた。ミラはこのとき、グルから「ミラ・ドルジェ・ギャルツエン」という、新しい名前をもらって、生まれかわった。ミラには、デチョクの密教の教えがあたえられ、ラマの力をもって、六十二の守護神が、ミラの前に出現した。こうして、ミラレパは、マルパからすべてのイニシエーシヨンと教えを、もらうことができたのだ。ミラレパはあらゆる苦しみ、悩み、疑いとたたかった。マルパが弟子にあたえた試練は、まったく不条理なものであったが、それに従いぬくことによって、ミラレパはとてつもない、内面の成就をなしとげることができたのである。
昔のグルと弟子の関係は、こんなものだったのだよ。二人の心が完全にひとつのものとなるまで、グルはいつまでも弟子に試練をあたえ続けたのだ。グルにちょっとでも、嘘を言ってはいけないし、裏切ってもいけない。それはあなたの中で、たちまちにして、巨大な罪へとふくれあがってしまうだろう。
あるとき、偉いヨーギの弟子が、たくさんの人々の前で、立派な説教をしていたことがあった。その場に、グルであるヨーギが、乞食のかっこうをしてあらわれた。弟子はそれに気がついたけれど、まわりにいっぱいの人がいるので、その中で乞食のかっこうをしたグルにひざまずくのが、恥かしかった。それで気がつかないふりをした。夜になって、弟子はグルのもとを訪れ、その前にひれ伏した。
グルが言った。「おまえはどうして、さっき私にひざまずかなかったのだい」
弟子が言う。「いいえ。私はまったく気がつきませんでした」
そう言い終わるが早いか、彼の目玉がはずれて、床に落ちた。あわてた弟子は、グルに大あやまり、やっと目玉をとりもどした、という、これはいかにもインド風のお話だ。
こういう話を通して、何を言いたいのかは、あなたにはわかっていることだろう。今のような時代には、真実の教えに出会い、それを学ぶことができるなど、ほとんど奇跡に近いことなのだよ。その教えをあなたに伝えてくれるグルの存在の重要さが、その一事からでも理解できるだろう。昔の人は、そういう幸運に恵まれたことを、心から感謝して、あらゆる困難に耐えて、教えを求めたものなのだ。私があなたに求めているのも、そういう心構えなのだよ。
心の解放と精神の導師「改稿 虹の階梯―チベット密教の瞑想修行 (中公文庫)」
ラマの許可がなければ、どんな教えも力をもたないことが、これでわかった。ゴクパは、ミラをマルパのもとに送りかえした。数日間は、何事もなく過ぎた。
しかし、ある儀式がおこなわれている最中に、マルパはその場にいあわせた者のすべてを、手ひどくしかりつけた。この中にはラマ・ゴクパも混じっていた。ミラはラマの怒りの意味を理解して、深い絶望におそわれた。自分の存在が、ゴクパや奥さんにとんでもない迷惑をかけている。そう思った彼は、絶望のあまり自殺をはかった。
ラマ・ゴクパが自殺を止めた。そのとき、ようやく、マルパの怒りが静まった。グルはミラを身辺に呼び寄せた。ミラはこのとき、グルから「ミラ・ドルジェ・ギャルツエン」という、新しい名前をもらって、生まれかわった。ミラには、デチョクの密教の教えがあたえられ、ラマの力をもって、六十二の守護神が、ミラの前に出現した。こうして、ミラレパは、マルパからすべてのイニシエーシヨンと教えを、もらうことができたのだ。ミラレパはあらゆる苦しみ、悩み、疑いとたたかった。マルパが弟子にあたえた試練は、まったく不条理なものであったが、それに従いぬくことによって、ミラレパはとてつもない、内面の成就をなしとげることができたのである。
昔のグルと弟子の関係は、こんなものだったのだよ。二人の心が完全にひとつのものとなるまで、グルはいつまでも弟子に試練をあたえ続けたのだ。グルにちょっとでも、嘘を言ってはいけないし、裏切ってもいけない。それはあなたの中で、たちまちにして、巨大な罪へとふくれあがってしまうだろう。
あるとき、偉いヨーギの弟子が、たくさんの人々の前で、立派な説教をしていたことがあった。その場に、グルであるヨーギが、乞食のかっこうをしてあらわれた。弟子はそれに気がついたけれど、まわりにいっぱいの人がいるので、その中で乞食のかっこうをしたグルにひざまずくのが、恥かしかった。それで気がつかないふりをした。夜になって、弟子はグルのもとを訪れ、その前にひれ伏した。
グルが言った。「おまえはどうして、さっき私にひざまずかなかったのだい」
弟子が言う。「いいえ。私はまったく気がつきませんでした」
そう言い終わるが早いか、彼の目玉がはずれて、床に落ちた。あわてた弟子は、グルに大あやまり、やっと目玉をとりもどした、という、これはいかにもインド風のお話だ。
こういう話を通して、何を言いたいのかは、あなたにはわかっていることだろう。今のような時代には、真実の教えに出会い、それを学ぶことができるなど、ほとんど奇跡に近いことなのだよ。その教えをあなたに伝えてくれるグルの存在の重要さが、その一事からでも理解できるだろう。昔の人は、そういう幸運に恵まれたことを、心から感謝して、あらゆる困難に耐えて、教えを求めたものなのだ。私があなたに求めているのも、そういう心構えなのだよ。
心の解放と精神の導師「改稿 虹の階梯―チベット密教の瞑想修行 (中公文庫)」
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