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2014年5月14日水曜日

真理の言葉 ダンマパダ 第二三章 象

第二三章 象


 戦揚の象が、射られた矢にあたっても堪え忍ぶように、われはひとのそしりを忍ぼう。多くの人は実に性質が悪いからである。

 馴らされた象は、戦揚にも連れて行かれ、王の乗りものともなる。世のそしりを忍び、自らをおさめた者は、人々の中にあっても最上の者である。

 馴らされた騾馬は良い。インダス河のほとりの血統よき馬も良い。クンジャラという名の大事おのれきな象も良い。しかし自己をととのえた人はそれらよりもすぐれている。

 何となれば、これらの乗物によっては未到の地(=ニルヴァーナ)に行くことはできない。そこへは、慎みある人が、おのれ自らをよくととのえておもむく。

 「財を守る者」という名の象は、発情期にこめかみから液汁をしたたらせて狂暴になっているときには、いかんとも制し難い。捕えられると、一口の食物も食べない。象は象の林を慕っている。

 大食いをして、眠りをこのみ、ころげまわって寝て、まどろんでいる愚鈍な人は、大きな豚のように糧を食べて肥り、くりかえし母胎に入って(迷いの生存をつづける)。

 この心は、以前には、望むがままに、欲するがままに、快きがままに、さすらっていた。今やわたくしはその心をすっかり抑制しよう、――象使いが鉤をもって、発情期に狂う象を全くおさえつけるように。

 つとめはげむのを楽しめ。おのれの心を護れ。自己を難処から救い出せ。――泥沼に落ちこんだ象のように。

 もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念いをおちつけて、ともに歩め。

 しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。

 愚かな者を道伴れとするな。独りで行くほうがよい。孤独で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。――林の中にいる象のように。

 事がおこったときに、友だちのあるのは楽しい。(大きかろうとも、小さかろうとも)、どんなことにでも満足するのは楽しい。善いことをしておけば、命の終るときに楽しい。(悪いことをしなかったので)あらゆる苦しみ(の報い)を除くことは楽しい。

 世に母を敬うことは楽しい。また父を敬うことは楽しい。世に修行者を敬うことは楽しい。世にバラモンを敬うことは楽しい。

 老いた日に至るまで戒しめをたもつことは楽しい。信仰が確率していることは楽しい。明らかな知惑を体得することは楽しい。もろもろの悪事をなさないことは楽しい。

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