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2012年5月13日日曜日

2011年インド修行旅行記 マトゥラー~ヴリンダーバンの森


マトゥラー~ヴリンダーバンの森

8月22日
今日はクリシュナの誕生日。
あいにく高熱が出てダウン。
動くのもしんどく、ずーっと部屋で寝ていた。

8月23日
マトゥラーに向かった。
クリシュナが生まれた場所である。
マトゥラーの牛。「ハヌマーン」の物語ではその昔、地球に悪がはびこって、困った「地球」は「白い牛」に姿を変え、主に助けを求めにいき、シヴァ神の化身としてハヌマーンが生まれた。地球はたまに牛に姿を変えているのかもしれない。
チャイ屋のおじさん
閑散とした町に到着後、何も見るとこがないらしいという話で、そんな中でとりあえずみんなでチャイを飲んだ。


その後、クリシュナが生まれた場所である牢獄を見にいった。

この牢獄はイスラム教の勢力により本物の牢獄ではなく、観光名所としてアトラクション目的のような建物らしい。
写真厳禁で門では男女別れ、厳重なセキュリテーチェックが行われた後、中に入った。
いくつかの建物には生まれた様子の物語を表す、等身大のろう人形があったりと、アトラクション的な建物を見物。
私は特に何も感じなく「う~ん」という感じ。

そこそこ見学して帰ってきた。

クリシュナが遊んだ森

マトゥラーからブリンダーバンに帰る途中のバスの中、私はクリシュナが遊んだであろう、森の風景をカメラの動画で撮影していた。撮影中、「クリ~シュナ~、クリーシュナ、クリーシュナ~ア~、クリスナ」と歌を歌って森の風景を撮影していたが、本当にクリシュナとバララーマが私たちのバスと同じ速さで、森をかけていくイメージが重なったとき、自然に涙ができてた。

「もう、この森だけで大満足」

なぜかわかないけど、私の今回の旅の目的がすべて消化したかのように心の奥から沸き起こる感動で感無量の気分になった。
(いまだに思い出すだけで涙が出る)

私にとってはこの森の風景が旅の中で、一番良かったところである!

イスコン寺院


夜、A木さんはEさんから見せてもらったという、イスコン寺院(クリシュナ意識協会)で売っている、手のひらサイズのすごいかわいい本があるから、それを買いたいといって、私たちはイスコン寺院本堂に行った。立派できらびやかな寺院で、まるでアメリカの大学構内を思わせるような、本屋が数カ所に点在していた。Eさんが購入したという場所で手のひらサイズの本を探したが、あいにく店じまい。
「でも明日にまた来よう」となった。

中央の大きな寺院の中に公園みたいなアトリウムがあり、中にはたくさんの人が集まり僧が歌を歌ったり、説法をして盛り上がりを見せていた。僧衣をつけている人は白人が多く、半分くらいいるようだった。
ちょうどクリシュナの誕生日の次の日にあたる今日は、イスコンの創設者であるプラブパーダさんの誕生日でもあった。
イスコン寺院の中央にあるアトリウム

奥に観音開き風の大きな祭壇が3~4つあり、ラーダークリシュナの像や、プラブパーダさんの像があった。

像の足元は花で埋め尽くされていた。
そして、信者たちにこの花をプラサードとしてみんなに投げていた。
まるでコンサートの時の歌手がピックやタオルを投げ、それをこぞって手をだし、受け取る観客のような、はたまた結婚式の新婦が、花束を参列者に投げるのに似た光景。

私も頂こうとおもって、プラブパーダさんの像でまっていると、目の前に並んでいたインド人たちで、なかなかお花が受け取れない。
手を伸ばしてまっていると私に気が付き、私に向けて投げたが、それもまた目の前のインド人が受けとってしまい、私は受け取る事ができないでいたが
「まぁいっか、みんなが取ったあとの残り物でも」と思ったら、お花の首飾り状のプラサードが、埋め尽くされていた床の中からニョロっと出てきて、真っ赤な大きなお花の首飾りを受け取った。
まさに、放棄したら与えられたようだ。

その後もアトリウムの中を回り、クリシュナの壁画の反対側にはチャイタニアの壁画もあり、最近チャイタニアが気になっていた私はうれしくて動画を撮影。
すべて満足で、踊ったりと、楽しい夜だった。

アトリウムにある売店


8月24日
朝7時ごろ、また寺院に行った。
今日は手のひらサイズの本を買う目的だった。
この時間も礼拝の時間であったようで、たくさんの人で賑わい、境内は歌で響きわたっていた。
昨日買えなかったお店も開いて、私もかわいい手のひらサイズのチャイタニアが表紙になっている「Freedom!」という本と、クリシュナの表紙の本を買った。
英語なので読めないが記念に。

本堂から帰る途中、数人のオレンジ色の僧衣を着た5〜6人のサドゥの団体とすれ違った。
すれ違ったあと、なんか気になり「もしかすると、ヴィベーカーナンダたちのように、どこかから放棄の旅をしている僧たちではないか?」という思いにかられ、戻ってお布施を渡し、照れる子供のようにすぐA木さんもとに戻り、牛のフンに気を付けながらホテルに戻ったのであった。

そして、8時。
デリーに戻るため、また私たちは出発した。

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