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2015年7月1日水曜日

ラーマのラクシュマナへの説法


他者への詐欺行為、抑圧、
苦痛を与える行為を避けなさい。

他者からの批判や迫害に、
不屈の精神を持って耐えなさい。

ひねくれることなくありなさい。

真の師に献身し、
身口意をもって彼に奉仕しなさい。
精神的・肉体的な純潔さを遵守しなさい。

善行の遂行に忠実であれ。
身口意を制御するのだ。 

感覚的対象を
切望してはいけない。
自己主義から
自由になりなさい。 

常に生や老いなどの、
輪廻の苦しみを覚えておきなさい。

息子や妻などに
執着してはならない。
偏った愛情を
彼らに抱いてはならない。

望むもの、望まないものの
経験がやって来ても、平静であれ。

一切の衆生の本質である私、
ラーマに対しての絶え間ない
信仰を持ちなさい。

お前の心を、
真理ではない事柄に
結び付けてはならない。

人ゴミから解放された聖地を頼ってはならない。

世俗的な友に好意を
抱いてはならない。
真我の探究をお前の
唯一の冒険とせよ。

常に心の中で、
明智の真理の言葉について
考えていなさい。

これらの戒の実践は、
本質なる神の叡智、
ジュニャーナへと通じる。

これらが欠如すると、
その結果は正反対のものとなるであろう。

―ラーマのラクシュマナへの説法

2014年11月27日木曜日

神のみ名の力

絶えずシャパム(称名)を行なえ。ひと息ごとにそれを行なえ。それか君の天性となるまで行ないたまえ。
神の御名の朗唱は身体と心の両方を浄める。神の御名の力を深く信じて、かれを瞑想せよ。
――ブラフマーナンダ

シュリー・ラーマ・ラーマ・ラーメーティ
ラメー・ラーメー・マノーラメー
サハスラナーマ・タットゥリャム
ラーマナーマ・ヴァラーナネー

意味:ラーマの御名を唱えることは、ヴィシュヌの千の御名を唱えることに等しい功徳がある。





2014年9月25日木曜日

ラームラーラー

要約・ラーマクリシュナの生涯(16)「ラームラーラーへのヴァーッツァリア・バーヴァ」より

1864年頃、ドッキネッショルに、ジャターダーリーという修行者がやってきた。彼は礼拝の対象として童子ラーマチャンドラの像を持っており、長年にわたって深い愛を込めてこの像に仕えているうちに、彼の心は深いプレーマ(神への至高の愛)の状態に没入した。彼は時々、光り輝く童子ラーマのヴィジョンが瞬間的に現れ、彼を至福で包むのを経験した。そしてさらに修行が進むに連れて、そのヴィジョンはさらに強烈になっていった。そしてついにはそのヴィジョンは一般に外界のものを普通に目で見るのと同じようにハッキリとしたものとなり、また時間的にも長く続くようになった。
このように神への愛に満ちた瞑想状態に常に入りつつ、彼はほとんど絶え間なく、童子ラーマと一緒の世界に暮らしながら、インド国内の様々な聖地を遍歴していた。そしてついにこのドッキネッショルへとやってきたのだった。

このようにジャターダーリーは頻繁に童子ラーマの姿を眼にしていたけれど、そのことを誰にも明かさないでいた。しかしゴダドルは、初対面のときに、ジャターダーリーがそのような境地にあることを見破った。そのためゴダドルはジャターダーリーを尊敬し、彼がラームラーラーへの奉仕に必要とする品々を喜んで提供した。
ハヌマーン

もともとゴダドルの家の神はラグヴィール(ラーマ)であり、また前述のようにハヌマーンのムードのダーシャ・バーヴァの修行に没頭しているときも、ゴダドルはラーマへの深い愛と信仰の中にあった。そして今、ジャターダーリーと会い、会話を交わすことによって、ゴダドルの中に、主ラーマへの愛と信仰が再び甦った。そしてジャターダーリーが礼拝しているラームラーラーの像の中に、ゴダドルもまた、主ラーマの童子の姿をハッキリと見た。

ゴダドルは以前に家の神ラグヴィールへの礼拝のためのラーマのマントラを授けられていたが、今度は童子ラーマ(ラームラーラー)への母親としての愛の態度のためのマントラをジャターダーリーに授けられ、そのサーダナーに没頭すると、わずか数日間で、童子ラーマの神聖なヴィジョンを常に見るようになった。

ゴダドルの心は、ジャターダーリーが持つその童子ラーマへの母性愛でいっぱいになり、母親が自分の幼子に対して感じるような素晴らしい愛と執着を童子ラーマに感じるようになった(ヴァーッツァリア・バーヴァ)。ゴダドルは時を忘れて、ジャターダーリーの童子ラーマの像のそばにいつもいるようになった。なぜならこの光輝く童子ラーマは、様々な子供らしい愛らしい仕草をして、ゴダドルに他の一切のことを忘れさせるのだった。またこの童子ラーマはいつもゴダドルがいる方向を見つめてゴダドルが来るのを待っており、またゴダドルが来るなと言っても聞かずに、ゴダドルが行くところどこにでもついてきた。

この頃のことについて、後にラーマクリシュナはこう語っている。

2014年5月31日土曜日

raghupati raghava raja ram

1919年2月3日(月)PM4:30 モルトン・スクールにて

信仰歌は心を神へといざなう。ヨーギーたちは心を神に集中し続けるのだ。人は少しばかり『彼』への愛を開発すると、その至福の中に漂うだろう。

だから、ヨーギーは心を他の対象にさまよわせてはならないのだよ。心を神に向け、彼を愛するように努めなさい。家族を愛し、ずっと彼らに集中したとて、あなたは何を得るというのかね? いつか彼らは皆死ぬ。彼らを失うときには、あなたはその悲しみで苦しむだろう。私の友人の1人はナルマダ河の岸に小屋を建て、人生最後の13年間はそこでラーマの御名を唱えて、神を悟るよう懸命に努力していた。」

2012年5月24日木曜日

”ラーマの思召し”

私の好きな話がある。
何か困ったときに思い出す。
すべては”ラーマの思召し”

『不滅の言葉』より

一信者「”ラーマの思召し”というのは、どういうお話でございますか?」
聖ラーマクリシュナ
聖ラーマクリシュナ「ある村に一人の機織職人が住んでいた。大そう信心深くて心掛けのいい人だったので、誰もが彼を信用して愛していた。この職人は市場にいって自分の織った布を売っていた。買い手が値段を聞くとこう言う——『ラーマの思召しで糸の値段が一ルピー。ラーマの思召しで工賃が四アナ。ラーマの思召しで、もうけが二アナ。だから布の値段はラーマの思召しで一ルピー六アナになりやす』。人々は彼を心から信用していたので、値切りもせずにすぐその金を払って布を買っていく。

2012年5月19日土曜日

風のなかの枯葉のような気持ち

「風のなかの枯葉のような気持ちでこの世に住んでいなさい。風は枯葉を家の中に運んでいったり、ゴミの山に運んでいったりする。風の吹くまま、どこにでも飛んでゆく。結構な場所だったり、ひどい場所だったり! 神様は、今はお前を世間という場所においた。けっこうじゃないか、今はそこに住んでいなさい。———またそこからもっといい場所に運んで落として下すったら、その時はまたその時にようにすればいい。ラームプラサードの歌にもあるだろう。

2012年4月22日日曜日

ラームプラサードの歌

タクル(ラーマクリシュナ)はよくこうおっしゃった。 
「音楽とは取るに足らないものかね? 渇仰の心で涙を流しながら歌うことによって、人は神を見る。」

  M自身、よくこう語っていた。 
「彼(師)は喜びの歌を歌ったり聞いたりするのがお好きであった・・・悲しみや苦しみは世俗的な存在の病である。それらを取り除くために、人は神の御名を唱え、称えるべきである。つまり人は幸せな歌――苦しみの混じらない喜びの歌――を歌うべきである。そのとき初めて人は、自身の存在の病から解放される。そのとき、三つの熱(肉体、心、そして魂)の火は静まるのだ。
  タクルはいつも喜びの歌を歌っていらっしゃった。例えば‘私から喜びを、喜びの具現化そのものであられるあなたを奪わないでおくれ!’」

  Mは歌を歌うのがすきで、師と同じように特にラームプラサードの歌をよく歌った。

「ラーマクリシュナの福音」の著者Mの短い伝記より


2012年3月30日金曜日

母なる神はブラフマーイー

ブラフマンである彼が、ラーマであり、クリシュナであり、シヴァなのだ。

シャクティに帰依することなくして、どうやってブラフマンを悟るというのか?

彼に呼びかける言葉、彼を礼拝する音――それらはすべてシャクティの働きなのだ。

おまえはシャクティから生まれ、そして彼女の御力によって動き、歩いている。

おまえはブラフマンという言葉を聞き、そして理解した。そしてシャクティの恩寵によって、ブラフマンを悟りたいと切望している。

おまえが今シャクティ――母なる神――を手放したら、誰がおまえを維持し、守護するのだね? 

母がいなくては、息子は父の愛を知ることができないだろう。あるいは父が何であるかを知ることができないだろう。

母の愛が子供を育てるのだよ。

どうしてそのような愛溢れる母を手放し、父に手を伸ばすことを望んだりするのか?

母なる神はブラフマーイーなのだよ。

一心に彼女に呼びかけなさい。

彼女はおまえの誠実な祈りを聞いてくださる。そしてすぐにおまえに自らを明かしてくださるだろう。


―ラーマクリシュナ

2012年3月25日日曜日

ハリの名をとなえよ、ハリの御名をくり返せ、ハリの御名をうたえ

アトゥル「どうしたらつねに神を思っていることができるのでしょうか?」

師「アビヤーサヨガ、つまり実践のヨガだ。毎日神に呼びかけることを実行しなさい。一日で成功することは不可能だ。毎日の祈りによって、神をつよく慕うようになるのだ
もし昼も夜も俗心にひたっているなら、どうしてそんな焦燥感を感じるようになどなるものか。前には、ジャド・マリックは霊的な会話を喜んでいた。自分自身それに加わることを好んでいた。ところがこのごろは、それほど興味を示さない。追従屋どもをまわりにはべらせて、世俗的な会話にふけっている。」

夕暮れであった。部屋にランプがともされた。シュリ・ラーマクリシュナは神々の御名をとなえられた。彼は歌い、そして祈っておられた。彼はおっしゃった、「ハリの名をとなえよ、ハリの御名をくり返せ、ハリの御名をうたえ」また、おっしゃった、「ラーマ! ラーマ! ラーマ!」それから、「おお、母よ、あなたはつねに、あなたの永遠のスポーツを楽しんでおいでになる。教えてください、おお、母よ、何が道ですか。私たちは、あなたのなかに避難しました。あなたの御足のもとに身をよせました。

ラーマクリシュナの福音

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