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2016年2月1日月曜日
2015年7月1日水曜日
「与えること」だけが、心に残るただ一つの思いとなる。
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女性の出家修行者たちはミラレーパに、自分自身の道はどうやったら見つかるのかと尋ね、更なる教えを懇願しました。答えてミラレーパは歌いました。
わがグル、
慈悲者に敬意を払います。
どうか御身の慈悲の波を
お与えください。
願わくば行者の私に、
快く瞑想させたまえ。
あなた方、
新しい世代の子供たちは
欺きに満ちたカルマが
はびこる町に住んでいるが
ダルマの輪はいまだ切れていない。
あなた方はブッダの
教えを聞いたが故に
こうして私のもとへやってきて、
迷いの道を避けたのだ。
常に功徳を積みつづける行によって
帰依の素質が育つ。
やがてそれによって
祝福の波があなた方に入り
類似と真の悟りが育つ。
しかしあなた方が
たとえこれらのすべてを
行なったとしても
完全に習得することがなければ、
ほとんど役には立たない。
あなた方を気の毒に思い
私は今、この教えを授けよう。
よく聴け、若き友たちよ。
ひとりでひっそりと住む時は
町の楽しみを思ってはならない。
さもなくば
悪魔があなたの心に生じるだろう。
心を内に向けよ。
そうすれば、
あなた方は道を見つけよう。
忍耐と決意を持って瞑想するときは
輪廻の邪悪なものや
いつ訪れるかわからない
死を思い浮かべ
世間の楽しみを
渇望しないようにせよ。
そうすれば、
勇気と忍耐が心に芽生え
あなた方は道を見つけよう。
修行の深遠な教えを
懇願するときは学識や、
学者になることを求めてはいけない。
さもなくば、
現世の行為と欲望が力を奮い
そして、この生そのものが浪費される。
謙虚でつつましくありなさい。
そうすれば、
あなた方は道を見つけよう。
瞑想中にさまざまな体験が訪れても
得意になって、それを吹聴してはならない。
さもなければ、
女神や母なる神をかき乱す。
怠惰になることなく瞑想しなさい。
そうすれば、
あなた方は道を見つけよう。
グルに従うときは
グルの長所や欠点を
見ようとしてはいけない。
さもなければ、
欠点の山を見つけてしまうことになる。
信と忠実さによってのみ
あなた方が道を見つけよう。
ダルマの兄弟姉妹と
聖なる集いに出るときは
先に並ぼうと考えてはいけない。
さもなくば
憎しみと渇望を生起させ
戒にそむくだろう。
自己を調和させ、互いに理解し合え。
そうすれば、あなた方は道を見つけよう。
村で施し物を乞う時は
偽りや搾取のために、
ダルマを使ってはならない。
さもなくば、
自分自身を低い道に落とすことになる。
正直で誠実でありなさい。
そうすれば、あなた方は道を見つけよう。
しかし何にもまして、いつでもどこでも、
決して思いあがったり、
うぬぼれたりしてはならない。
さもなければ
自己を過大評価して、
偽善で押しつぶされてしまうだろう。
欺きと偽りを捨て去れば
あなた方は道を見つけよう。
道を見つけた人は、恵み深き教えを人々に伝えられる。
こうして自他を助け、
「与えること」だけが、心に残るただ一つの思いとなる。
―ミラレーパの十万歌
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2015年6月14日日曜日
志賢心誠、必ず神に通ず―ラーマクリシュナ・パラマハンサ

神には相形がある、と言い張る人もいるし、
いや、実は無形の大実在だ、
という人もいる。
だから、私はいつも言うんだよ。
姿ある神を信じている人は、
そのお姿を想っていなさい、
無形の実在を信じている人は、
その無相の実在なるものを
瞑想すればいい、
とね。
私が言いたいのは、
独りよがりはよくない、
と言うことだ。
つまり、自分の宗教は正しいが
他のは、皆まちがっている、
と思うのが良くないのだ。
「私の宗教は正しい。
だが、他の宗教が正しいか
間違っているか、ホンモノかニセモノか、
そういうことは私にはわからない」
――こう思っているのがいい。
神様に直接会ってみなければ、
あのお方の性質は姿はわからないよ。
志賢心誠、必ず神に通ず

熱心に、真心こめて神に祈りさなさい。
そうすれば、
あの御方は必ず聞き届けてくださる。
あの御方はきっと、
あなたの霊的進歩にとてもためになることだ。
またことによると、ある人の口から
「こうすれば神さまがわかりますよ」
と、言わせて下さるだろう。
熱心、ということがすべてだ。
ヒンズー教でもイスラム教でも
キリスト教でも、
ほかのどんな宗教でも、
とにかく熱心になることが何より大切なこと。
――神さまは、私たちの中にいる導き手なんだからね。
よくない道だってかまわない。
真心こめて信仰していれば、
神さま自身が、より良い道、
より高い道につれていってくださる。
神通力のようなものを求めたり、
現世利益のために信仰しているのは
知性の低い人たちだ。
――でも欲ばりな祈りも
熱心につづけているうちに、
いつのまにか無私な清いものとなってくる。
ドゥルヴァは、領土を獲るために、
必死になって苦行していたら、
至福の神を手にいれてしまった。
彼らは言った。
「ガラス玉を探しにいって、黄金に出くわしたとしたら、そのままにしておけるか?」
―ラーマクリシュナパラマハンサ
2015年6月4日木曜日
神を忘れない‐ラーマクリシュナパラマハンサ
「ねえラトゥ、"ここ"を絶対忘れちゃ駄目だよ。」
ラトゥは師との約束通り、生涯を通じてシュリー・ラーマクリシュナの真の召使いであり続けた。
師を忘れて過ごした日は一日もなく、命令を破った日も一日もなかった。――また、師へのご恩を忘れて過ごした瞬間はひと時もなかった。ドッキネッショルでそうだっただけではなく、シュリー・ラーマクリシュナが亡くなった後も、ラトゥは一つの考え、発想、そして目標に徹した。――師に完全に従うため、そして瞬間といえども彼を忘れないために。
こうして、神を忘れないというラトゥの約束を聞いて、師はラトゥに、神の召使い(ダーシャ)たるものは一瞬たりとも神を忘れてはいけないという感銘を与え、彼はそれを生涯忘れることは決してなかったのだ。
----------------------
師はラトゥに教えた。
「ラトゥよ、聞きなさい。利益や動機というどんな希望にも揺り動かされてはいけないよ。――お前自身を完全に『彼』に差し出しなさい。 お前が『彼』を手放さなければ、お前はすべてを得るだろう。手放してしまうと、渇望は残る。あるいは増しさえする。そしてお前を翻弄して、不幸にするだろう。」
----------------------
人々には愛と奉仕の精神をもって対さなければならない。
教理や教義に執着するのは、餓えた人に石を与えるようなものである。
―ラーマクリシュナパラマハンサ
2015年5月9日土曜日
2015年5月4日月曜日
花にちなんで
だれがこの大地を征服するであろうか?
だれが閻魔の世界と神々とともなる
この世界とを征服するであろうか?
わざに巧みな人が花を摘むように、
善く説かれた真理のことばを
摘み集めるのはだれであろうか?
学びにつとめる人こそ、
この大地を征服し、
閻魔の世界と神々とともなる
この世界とを征服するであろう。
わざ巧みな人が花を摘むように、
学びにつとめる人々こそ
善く説かれた真理のことばを摘み取るであろう。
この身は泡沫のごとくであると知り、
かげろうのように
はかない本性のものであると、さとったならば、
悪魔の花の矢を断ち切って、
死王に見られないところへ行くであろう。
花を摘むのに夢中になっている人を
死がさらって行くように、
眠っている村を洪水が押し流していくように、
花を摘むのに夢中になっている人が
未だ望みを果たさないうちに、
死神がかれを征服する。
蜜蜂は(花の)色香を害わずに、
汁をとって、花から飛び去る。
聖者が、村に行くときは、そのようにせよ。
他人の過失を見るなかれ。
他人のした事としなかった事を見るな。
ただ自分のした事としなかったことだけを見よ。
うるわしく、あでやかに咲く花でも、
香りの無いものがあるように、
善く説かれたことばでも、
それを実行しない人には実りがない。
うず高い花を
集めて多くの華鬘(はなかざり)をつくるように、
人として生まれまた死ぬべきであるならば、
多くの善いことをなせ。
花の香りは
風に逆らっては進んで行かない。
栴檀(せんだん)もタガラの花も
ジャスミンもみんなそうである。
しかし徳のある人々の香りは、
風に逆らっても進んで行く。
徳のある人はすべての方向に薫る。
タガラ、栴檀の香りは微かであって、
大したことはない。
しかし徳行のある人々の
香りは最上であって、天の神々にもとどく。
徳行を完成し、
つとめはげんで生活し、
正しい智慧によって解脱した人々には、
悪魔も近づくによし無し。
大道に捨てられた塵芥(ちりあくた)の
山堆(やまずみ)の中から香しく麗しい蓮華が生ずるように。
塵芥にも似た
盲(めしい)た凡夫のあいだにあって、
正しくめざめた人(ブッダ)の弟子は
智慧をもって輝く。
―ダンマパダ
2015年4月21日火曜日
世界とともに
大きな人の流れも、
一人の人が動くところから生まれます。
もしもあなたが、
自分には大したことはできないと思ってしまったら、
隣にいる人も意気をそがれてしまい、
大きなチャンスを逃すことになるでしょう。
反対に
わたしたち一人一人が利他的に動くことによって、
ほかの人を力づけることができるでしょう。
慈悲に溢れた心と気持ちでもって、
世界とともに。
- ダライラマ14世
一人の人が動くところから生まれます。
もしもあなたが、
自分には大したことはできないと思ってしまったら、
隣にいる人も意気をそがれてしまい、
大きなチャンスを逃すことになるでしょう。
反対に
わたしたち一人一人が利他的に動くことによって、
ほかの人を力づけることができるでしょう。
慈悲に溢れた心と気持ちでもって、
世界とともに。
- ダライラマ14世
2014年12月1日月曜日
2014年9月15日月曜日
なぜあなたは私をお作りになったのですか
「それはつまり、一切のものを捨てて神に呼びかけよ、ということだ。彼のみが実在、他のすべては幻である。神の自覚無しには、あらゆるものが無意味である。これが偉大な秘密なのである。」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
熱心に神に祈ることだ。神はまさに我々の身内でいらっしゃる。我々は、彼に『おお神よ、あなたはどのようなお方なのですか。ご自身を私にお示しください。あなたは私にご自分を見せてくださらなければ行けません。そうでなければ、なぜあなたは私をお作りになったのですか』と言うべきなのだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
熱心に神に祈ることだ。神はまさに我々の身内でいらっしゃる。我々は、彼に『おお神よ、あなたはどのようなお方なのですか。ご自身を私にお示しください。あなたは私にご自分を見せてくださらなければ行けません。そうでなければ、なぜあなたは私をお作りになったのですか』と言うべきなのだ。
2014年9月14日日曜日
ありのままの世界
この世界のあらゆるものは、互いに依存しあって存在している。何ひとつとしてそれだけで孤立しているものはない。だから、この現象の世界には、そのものという固定した実体をもつものなど、一つもないのである。
ところが、私たちは言葉を使ってこの現象の世界に名前をあたえようとする。あれは山であり、あれは木であり、これは私であるというように。そのこと自体はこの現象の世界にあらわれている、ありのままの差異をとらえようとする根源的智慧の働きのあらわれであると考えることができる。
しかし、いったん名前があたえられると、それだけで山や木や私が、何か固定した実体をもっているように思えてくるのである。言葉を口に出して言わなくとも、それが心にひらめいた瞬間、私たちは世界を固定してとらえる危険に踏み込んでしまう。でも固定した「私」なんていったいどこにあるのだろう。どこからが山で、どこで山が終わるというのだろう。
ところが、私たちは言葉を使ってこの現象の世界に名前をあたえようとする。あれは山であり、あれは木であり、これは私であるというように。そのこと自体はこの現象の世界にあらわれている、ありのままの差異をとらえようとする根源的智慧の働きのあらわれであると考えることができる。
しかし、いったん名前があたえられると、それだけで山や木や私が、何か固定した実体をもっているように思えてくるのである。言葉を口に出して言わなくとも、それが心にひらめいた瞬間、私たちは世界を固定してとらえる危険に踏み込んでしまう。でも固定した「私」なんていったいどこにあるのだろう。どこからが山で、どこで山が終わるというのだろう。
2014年9月9日火曜日
純粋真我(シュッダアートマ)
(問) 神は言葉と心を超越したもの――つまり、心で感得することもできないのではないでしょうか?
いや。――この普通の心で感得できないのはたしかだ。しかし、純粋な心で感得できる。普通の知性ではわからないが、純粋な知性でわかる。
女と金への執着がとれさえすれば、心と知性が清浄になる。
純粋な心と、純粋な知性とは同じものだよ。
神は純粋清浄な心でとらえられるものだ。
いや。――この普通の心で感得できないのはたしかだ。しかし、純粋な心で感得できる。普通の知性ではわからないが、純粋な知性でわかる。
女と金への執着がとれさえすれば、心と知性が清浄になる。
純粋な心と、純粋な知性とは同じものだよ。
神は純粋清浄な心でとらえられるものだ。
2014年8月17日日曜日
2014年8月6日水曜日
2014年8月2日土曜日
2014年7月27日日曜日
スワミ・プレーマーナンダの教え
◎ある僧への手紙
一般の人々から援助を受けない限り、どうしてあなたが「ホーム・オブ・サービス(奉仕の家)」を運営できるだろうか? もちろん、人々に援助を求めてもよい。
だが、一人の人間の援助に完全に頼りきるのはよくない。
名誉と称賛への欲望を、主にすべて明け渡しなさい。
たとえあなたの道に多少の名誉や称賛がやってきたとしても、それがあなたを害することはないだろう。
主の信者たちは、自由な時を生きている。
英雄のように振る舞いたまえ。――主の御力の中で強くなりなさい。
もしいくらかの弱さが生じたら、人けのないところで主に祈りなさい。
彼は強さと正しい理解をあなたにお与えになり、彼ご自身のもとへあなたを導いてくださるだろう。
どんな仕事をやり始める前にも、主を思いなさい。そして、彼を拠り所とし、ただの道具としてそれをやるように試みるのだ。
主のみが完全な行為者であると、いつも心に留めておきなさい。主におまかせするならば、悪が生じることは決してないのだ。
わたしもまた、シュリー・ラーマクリシュナの恩寵を通じて、あなたが礼拝として、また彼を喜ばせるためだけにすべての仕事を遂行できるように、あなたを祝福する。
主の御意思のみが為される。
しかし、ごく平凡な一個人が、どのようにして彼の御意思を知り、理解することができるのだろうか?
彼を思い続けることが、人間の一つの義務なのだ。
幸福と苦しみ――すべてを彼におまかせするのだよ。
わたしたちはどんな状況のもとでも満足していなければならない。
わたしたちは彼のものであるのだから、彼がわたしたちに望まれるように、彼におまかせしなさい。
この世が利己主義に満ちているというのは、わかりきったことである。
しかしそうはいっても、人間はこの世で生き続けなければならないのだから、世間の人たちは利己主義だといつまでも考え続けることは虚しいことだ。
人は深い熟考と吟味を通してこの事実の真理を十分に理解した後で、仕事に就くべきである。
―――――――――――――――――――――――――
◎利己主義
一般の人々から援助を受けない限り、どうしてあなたが「ホーム・オブ・サービス(奉仕の家)」を運営できるだろうか? もちろん、人々に援助を求めてもよい。
だが、一人の人間の援助に完全に頼りきるのはよくない。
名誉と称賛への欲望を、主にすべて明け渡しなさい。
たとえあなたの道に多少の名誉や称賛がやってきたとしても、それがあなたを害することはないだろう。
主の信者たちは、自由な時を生きている。
英雄のように振る舞いたまえ。――主の御力の中で強くなりなさい。
もしいくらかの弱さが生じたら、人けのないところで主に祈りなさい。
彼は強さと正しい理解をあなたにお与えになり、彼ご自身のもとへあなたを導いてくださるだろう。
どんな仕事をやり始める前にも、主を思いなさい。そして、彼を拠り所とし、ただの道具としてそれをやるように試みるのだ。
主のみが完全な行為者であると、いつも心に留めておきなさい。主におまかせするならば、悪が生じることは決してないのだ。
わたしもまた、シュリー・ラーマクリシュナの恩寵を通じて、あなたが礼拝として、また彼を喜ばせるためだけにすべての仕事を遂行できるように、あなたを祝福する。
主の御意思のみが為される。
しかし、ごく平凡な一個人が、どのようにして彼の御意思を知り、理解することができるのだろうか?
彼を思い続けることが、人間の一つの義務なのだ。
幸福と苦しみ――すべてを彼におまかせするのだよ。
わたしたちはどんな状況のもとでも満足していなければならない。
わたしたちは彼のものであるのだから、彼がわたしたちに望まれるように、彼におまかせしなさい。
この世が利己主義に満ちているというのは、わかりきったことである。
しかしそうはいっても、人間はこの世で生き続けなければならないのだから、世間の人たちは利己主義だといつまでも考え続けることは虚しいことだ。
人は深い熟考と吟味を通してこの事実の真理を十分に理解した後で、仕事に就くべきである。
―――――――――――――――――――――――――
◎利己主義
2014年7月20日日曜日
思い出して
「法の道はまことにきびしい。欲望が一つでもあると至聖にとどくことはできない。針に糸を通すのに、一つでもケバがあったらだめだ。ギーターのなかで、クリシュナ神がアルジュナにおっしゃっている――わたし(神)のところに来ようと思ったら、八大神通力の一つでも持っていてはだめだ、と。
どうしてか、わかるかね? 神通力などを持っていると、人間は必ず高慢になる。高慢、増上慢、これが神を忘れさせるのだ。超自然能力とか霊能力とか、ああいうものにとらわれていたら、迷妄から脱けることはできない。我執が深まるばかりだ」
――ラーマクリシュナ
思い出して
心の中のあのヴリンダーヴァンで
今日もクリシュナの笛の音が
正しく生きなさいと 歌っているよ
僕がついているからと ほほえんでるよ
花咲き乱る あのヴリンダーヴァンで
今日もクリシュナが美しい
孔雀の羽 揺らして 遊んでいるよ
鈴の音 響かせて 踊っているよ
心の中のあのヴリンダーヴァンで
今日もクリシュナが麗しい
早く思い出してと 叫んでいるよ
一緒に遊んでいた 至福の日々を
顔を上げれば あの空いっぱいに
今日もクリシュナが愛おしい
誰も憎まないでと 叫んでいるよ
すべては僕なんだよと ほほえんでるよ
耳を澄ませば あのヴリンダーヴァンで
今日もクリシュナの笛の音が
正しく生きなさいと 歌っているよ
僕を思い出してと ほほえんでるよ
どうしてか、わかるかね? 神通力などを持っていると、人間は必ず高慢になる。高慢、増上慢、これが神を忘れさせるのだ。超自然能力とか霊能力とか、ああいうものにとらわれていたら、迷妄から脱けることはできない。我執が深まるばかりだ」
――ラーマクリシュナ
思い出して
心の中のあのヴリンダーヴァンで
今日もクリシュナの笛の音が
正しく生きなさいと 歌っているよ
僕がついているからと ほほえんでるよ
花咲き乱る あのヴリンダーヴァンで
今日もクリシュナが美しい
孔雀の羽 揺らして 遊んでいるよ
鈴の音 響かせて 踊っているよ
心の中のあのヴリンダーヴァンで
今日もクリシュナが麗しい
早く思い出してと 叫んでいるよ
一緒に遊んでいた 至福の日々を
顔を上げれば あの空いっぱいに
今日もクリシュナが愛おしい
誰も憎まないでと 叫んでいるよ
すべては僕なんだよと ほほえんでるよ
耳を澄ませば あのヴリンダーヴァンで
今日もクリシュナの笛の音が
正しく生きなさいと 歌っているよ
僕を思い出してと ほほえんでるよ
2014年7月19日土曜日
慈しみ
有能であり、心が真っ直ぐであり、
正しく、言葉優しく、柔和であって、
思い上がらない者でなければならない。
足る事を知り、僅かな物を食べ、
雑務が少なく、生活も簡素であり、
諸々の感官が静まり、聡明であって、
昂ぶることなく、他人の家で貪らない。
他の識者の非難を受けるような、
下劣なことを、行ってはならない。
すべての、生きとし、生けるものは、
幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
どんな生物生類であれ、
弱いものも、強いものも、
長いものも、短いものでも、
微細なものも、粗大なものも、
見えるものも、見えないものも、
遠くに住む者も、近くに住む者も、
生まれたものも、生まれるものでも、
一切の生きとし生けるものに、幸あれ。
何人も、他人を欺いてはならない。
いつも、他人を軽んじてはならない。
相手を悩まそうと、怒りの想念を抱き、
苦痛を与えることを、望んではならない。
さながら、己が独り児を、
母が、命を賭けて守るよう、
一切の生きとし生けるものに、
無量の慈しみの心を起こすべし。
上に、下に、横に、障害なく、
恨むことなく、憎むこともなく、
全世界に、慈無量心を起こすべし。
立ちながらも、歩きながらも、
座りながらも、臥しながらでも、
眠らない限りは、慈無量心を持て。
これは、慈悲喜捨、梵住と呼ばれる。
邪見を捨て、戒律を守り、智慧を具え、
諸々の欲に関する、貪欲を除いたものは、
決して、再び母胎に宿ることがないだろう。
――スッタニパータ 第一章 八
正しく、言葉優しく、柔和であって、
思い上がらない者でなければならない。
足る事を知り、僅かな物を食べ、
雑務が少なく、生活も簡素であり、
諸々の感官が静まり、聡明であって、
昂ぶることなく、他人の家で貪らない。
他の識者の非難を受けるような、
下劣なことを、行ってはならない。
すべての、生きとし、生けるものは、
幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
どんな生物生類であれ、
弱いものも、強いものも、
長いものも、短いものでも、
微細なものも、粗大なものも、
見えるものも、見えないものも、
遠くに住む者も、近くに住む者も、
生まれたものも、生まれるものでも、
一切の生きとし生けるものに、幸あれ。
何人も、他人を欺いてはならない。
いつも、他人を軽んじてはならない。
相手を悩まそうと、怒りの想念を抱き、
苦痛を与えることを、望んではならない。
さながら、己が独り児を、
母が、命を賭けて守るよう、
一切の生きとし生けるものに、
無量の慈しみの心を起こすべし。
上に、下に、横に、障害なく、
恨むことなく、憎むこともなく、
全世界に、慈無量心を起こすべし。
立ちながらも、歩きながらも、
座りながらも、臥しながらでも、
眠らない限りは、慈無量心を持て。
これは、慈悲喜捨、梵住と呼ばれる。
邪見を捨て、戒律を守り、智慧を具え、
諸々の欲に関する、貪欲を除いたものは、
決して、再び母胎に宿ることがないだろう。
――スッタニパータ 第一章 八
鼓舞する言葉
人間に生まれるという、稀なる特典を得ても、
今生で神を悟れなければ、生まれた意味がない。
――ラーマクリシュナ・パラマハンサ
―――――――――――――――――
「すべてを受け入れることが成長の印です。」
――ヴィヴェーカーナンダ
―――――――――――――――――
「自分で自分を尊敬できないものを他人が尊敬してくれますか?
たとえ死ぬ運命にあろうとも……
私は勇者のように、最高に気高く死にましょう!」
―インドラジット(メーガナーダ)
今生で神を悟れなければ、生まれた意味がない。
――ラーマクリシュナ・パラマハンサ
―――――――――――――――――
「すべてを受け入れることが成長の印です。」
――ヴィヴェーカーナンダ
―――――――――――――――――
「自分で自分を尊敬できないものを他人が尊敬してくれますか?
たとえ死ぬ運命にあろうとも……
私は勇者のように、最高に気高く死にましょう!」
―インドラジット(メーガナーダ)
| インドラジット―実写ドラマ・ラーマーヤナ 第88話 |
2014年7月15日火曜日
どうのような忍耐、どれほどの熱意
”大いなる真剣をもって”――。それは、注意力のすべてと心のすべてを注いで、必ず成功してみせるという固い信念をもって、という意味である。世俗の事柄や、人聞を獲得しようとするときでさえ、人は夜も昼もそれに励む。眠るのを忘れ、食べることも忘れて、精魂を傾ける。世俗的な事柄を達成しようとするときにさえこの条件が必要なら、ヨーガの成功にはいったいどれほどのものが必要だろう? そうだ、今日播いた種がどれぐらい根を張ったか知りたくて、翌日にはそれを掘り返してみるというような、子供じみた真似はやめよう。われわれにはこれらの三つの資質、すなわち忍耐と献身と信念が必要である。
ここへ来るといつも私は、ヒンドゥーの聖典に出てくる小話を思い出す――
天人の住むデーヴァ・ローカすなわち天界に、ナーラダと呼ばれる大仙人がいる。(偉大なヨーギーというものは、ちょうどこの地上にもいるように、神々の世界にもいるのである。)このナーラダというのは、あらゆる世界を経巡っている仙人で、ときにはわれわれ人聞がどんなふうに暮らしているかを見るために、この地上にもやって来る。
ある日彼が森の中を通りかかると、あまりにも長い間膜想していたために、全身がびっしり蛾塚で覆われてしまったヨーギーに出会った。そのヨーギーがナーラダを見て言った、
![]() |
| narada |
2014年6月23日月曜日
神が喜んで受けて下さるのは
神が喜んで受けて下さるのは、信仰心である。それも純粋なほど喜ぶが、はじめのうち(精神が幼いうち)は欲があってもかまわない。熱心に続けていれば次第に清まってくる。だいじなのは形ではない。神を求め、慕い、愛し、恋する心である。
わが心 黒蜂のごとく
シャーマの青き蓮華に魅せられぬ
この世の花 いろ美しく
甘くとも 空し うとまし……
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