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2014年7月4日金曜日

Amazing Grace(驚くべき恩寵)


「アメイジンググレイス」

アメイジンググレイス
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる

神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し
その恐れから心を解き放ち給う
信じる事を始めたその時の
神の恵みのなんと尊いことか

これまで数多くの危機や苦しみ、誘惑があったが
私を救い導きたもうたのは
他でもない神の恵みであった

2014年6月25日水曜日

カーリー讃歌2ーーkali maa !

この世の海に漕ぎだした私の小舟は
大実母よ、今にも沈みそうです!
迷妄の嵐は烈しく 無智の霧はたちこめ
マ-よ、心細さはつのるばかり……
”心”という名の舵取りは下手で
”感情”という名の漕ぎ手は頑固
死にもの狂いに気はあせっても
ただアプアプともがくばかり
”愛情”の舵柄は見るかげもなく壊れ
”自信”の白帆はズタズタに裂け
私の舟はもう転覆してしまいそう
マ-よ、どうしたらいいでしょう!?
なすすべもない今となっては
なりふりかまわずハダカになって
聖なるドルガの御名の筏を(ドルガ=大実母の一名)
しっかりつかんで波間を泳ごう

我執のあるうちは真の自由はない。
我執のあるうちは苦悩は絶えない。
カーリー母さま 玩具を作り
シャーマ母さま 玩具を作り(カーリーの愛称。)
五尺あまりの 玩具のなかで
ゆかいな遊びを してみせる
あなたは玩具の なかにいて
たくみな糸で あやつるが
玩具はそれを 知らないで
自分で動くと 思っている
玩具がそれを 知ったとき
もうそのときは 玩具じゃない
信仰の糸で 母さまの
シャーマをさえも 縛ります




2014年6月23日月曜日

神が喜んで受けて下さるのは

ラーマクリシュナがくりかえし言っていることだが、神は、立派な殿堂や高価な宝石や、莫大な寄付金を供えても喜ばない。そういうもので神の心を動かすことはできない。そんなものは人間にとって貴重かもしれないが、神にとっては土塊と同じ。

神が喜んで受けて下さるのは、信仰心である。それも純粋なほど喜ぶが、はじめのうち(精神が幼いうち)は欲があってもかまわない。熱心に続けていれば次第に清まってくる。だいじなのは形ではない。神を求め、慕い、愛し、恋する心である。

わが心 黒蜂のごとく
シャーマの青き蓮華に魅せられぬ
この世の花 いろ美しく
甘くとも 空し うとまし……
―― 「インドの光 ラーマクリシュナの愛唱歌」より

2014年6月22日日曜日

カーリー讃歌--KALI MAA



ラーマクリシュナは、
宇宙の大原理=根元を、静=不動とみるときブラフマンと称び、
動=変化活動するとみるとき(創造、保存、破壊)、
それを根元造化力(アデャシャクティ)と称ぶ、と説明している。
このアデヤシャクティを神格化したのが、カーリー女神である。
大実母カーリーである(カーリーは″黒″の意)。

2014年5月22日木曜日

あなただけが私の母





Twameva Mata
Chapita Twameva

Twameva Bandhu
Cha Sakha Twameva

Twameva Vidya
Dravinam Twameva

Twameva Sarvam
Mama Deva Deva

Twameva Sarvam
Mama Deva Deva


「あなただけが私の母」

2013年8月11日日曜日

信仰と誠実と明け渡し-オーロビンド・ゴーシュ


「 あなたの生命は、ただ神の道具として与えられたものであり、ひとえに、聖なる神の顕現を助けるためにのみ与えられたものであるということを、よくよく心得ておくことだ。
神の意識が持つ純粋さ、力、光、大らかさ、落ち着き、至福のみをひたすら願い、あなたの精神と生命と身体を変容して、これらすべてを完全にならしめずにはおけないという、神の意識が示す熱意のみを、ひたすらに求めるがよい。
超精神的なる聖なる真理のみを求め、その真理が、地上で、あなたの内で、そしてまた呼び出され選び出された者すべての内で現実のものとなることのみを求め、その「真理」が対抗勢力の一切に勝利をおさめることのみを、ただひたすら求めることだ。

あなたの誠意と明け渡しを、混じりけのない、完全なものにしなさい!
自らを差し出すときには、あなたの内の一切が「聖なる母神」のものとなり、自我に取っておかれたものなど何もないように、要求も条件も保留も一切なしに、余すところなく完全に自分を差し出すことだ。

あなたの信仰と誠実と明け渡しが完全なものになればなるほど、恩寵とご加護はますます多くあなたに下るであろう。「聖なる母神」の恩寵とご加護があなたと共にあるとき、あなたを手荒に扱うどんなものが存在しうるというのだろう。その恩寵とご加護のほんのわずかがあるだけで、どんな難事も、どんな障害も、どんな危険も、すべて突破させてくれるだろう。
あなたが「聖なる母神」の恩寵とご加護に深く包まれていれば、どんな脅威も気にせずに、それがこの世に発するものであれ、それが見えない世界に発するものであれ、どんなに強力な敵意にも一切動かされることなく、自分の道を無事に渡っていけるのは当然である。その道は、実は「聖なる母神」ご自身の道なのだから。

彼女の恩寵とご加護がひと触れしただけで、ピンチがチャンスに、失敗が成功に、弱さが強さに変貌してしまうのだ。
「聖なる母神」の恩寵は、至高者からの認可と同じものであり、その成果は今日も明日も永遠に確実で、いったん下された決定はどんなものも、避けることも抗することも叶わぬ不変の決定であるからだ。」


「 利己的な選択を迫ってやまない緊張、個人的利益をひたすら求める思い、自己中心的な欲望に満ちたギブアンドテイクの意識、そんなものは、すべて根絶やしにしてしまうがよい。実りを要求したり、報いを追求したりすることがあってはならないのだ。あなたにとって実りとは、ただひとえに「聖なる母神」の喜びであり、その御わざの成就であり、そしてあなたにとって報いとは、神の聖なる意識と、寂静と、強さと、至福の内にあって、変わることなく不断に進んでいくことにこそ、あるのだから。
 私心なき働き手にとっては、奉仕の喜びと、行為を通して内なる成長を遂げていく喜びとが、すでにそれ自体、十分な報いになっているのである。

―オーロビンド・ゴーシュ, 

2012年5月27日日曜日

あなただけが私のすべて


「神お一人だけが、永遠に自分のものなのだ。
うれしいときも悲しいときも、あのお方のことを思っているといい。」

―ラーマクリシュナ




おお神よ
あなただけが私の母
あなただけが私の父

おお神よ
あなただけが私の身内
あなただけが私の友人

おお神よ
あなただけが私の明智
あなただけが私の宝

あなただけが私のすべて おお、神よ神よ
あなただけが私のすべて おお、神よ神よ




2012年4月24日火曜日

人生における恐怖と危難と災厄から身を守ってくれるのは




人生における恐怖と危難と災厄から身を守ってくれるのは、常に相携えて進んでいく、ただ二つの事柄だけである。――つまり「聖なる母神の恩寵」と、あなたの側での「信仰と誠実と明け渡し」である。

2012年3月30日金曜日

母なる神はブラフマーイー

ブラフマンである彼が、ラーマであり、クリシュナであり、シヴァなのだ。

シャクティに帰依することなくして、どうやってブラフマンを悟るというのか?

彼に呼びかける言葉、彼を礼拝する音――それらはすべてシャクティの働きなのだ。

おまえはシャクティから生まれ、そして彼女の御力によって動き、歩いている。

おまえはブラフマンという言葉を聞き、そして理解した。そしてシャクティの恩寵によって、ブラフマンを悟りたいと切望している。

おまえが今シャクティ――母なる神――を手放したら、誰がおまえを維持し、守護するのだね? 

母がいなくては、息子は父の愛を知ることができないだろう。あるいは父が何であるかを知ることができないだろう。

母の愛が子供を育てるのだよ。

どうしてそのような愛溢れる母を手放し、父に手を伸ばすことを望んだりするのか?

母なる神はブラフマーイーなのだよ。

一心に彼女に呼びかけなさい。

彼女はおまえの誠実な祈りを聞いてくださる。そしてすぐにおまえに自らを明かしてくださるだろう。


―ラーマクリシュナ

2011年12月6日火曜日

オーロビンド・ゴーシュ(Sri Aurobindo Ghose)-「母なる神」-レビュー

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日々修習する聖者の智慧Ⅱ
ぜんぜんヨーガ修行旅行日記のアップをしていなくて恐縮ですが、今日は「日々修習する聖者の智慧Ⅱ」という本のレビューを書きたいと思います。

2011年10月31日月曜日

Chamunda 母なる神

 Kālīカーリー・マー



神の聖なる御わざの真の道具になろうとするならば、
あなたの第一の目標は、
欲望と自己中心的な自我からの全面的解放でなければならない。

人生全体が至高者への捧げ物となり、生け贄となることが、必要なのだ。

あなたが行為を通して目指すべき事柄はただ一つ、
神の聖なるシャクティご自身が自らの営みを営むときの、その顕現の道具につかえ、
また自らもその顕現の道具となることである。

 あなたは神の聖なる意識を通して自ら成長を遂げて、
ついには、あなたの意志と神のご意思の間にはどんな違いもなく、
もはやあなたの内で働く神ご自身の衝動以外にはどんな動機もなく、
あなたの内で、またあなたを通して働く神ご自身の意識に基づく行為以外には
どんな行為もない、というところまで達することが、必要なのだ。


(「母なる神」より)

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