信仰によって神を見ることができる。
しかしそれは、プレーマ・バクティ(真の愛のバクティ)とか、ラーンガー・バクティ(赤く燃えるバクティ)というような、成熟した信仰でなければダメだよ。あのお方を心の底から好きになることだ。――子が母を慕うように、母が子を愛するように、妻が夫に恋するようにね。
神に対してこのような信仰を持つようになると、妻子、親戚、友人などに盲目的に執着するということがなくなる。
慈悲の気持ちを持っているだけだ。
この世はどこかよその土地で、ただちょっと仕事をしに来ているだけ・・・・・・という感じになる。故郷に家屋敷があるのだが、カルカッタに仕事があるから、そのためにカルカッタに家を借りて住んでいる、というわけさ。
神を愛するようになると、この世への執着や、俗っぽい感覚からすっかり抜け出せるようになるよ。
――ラーマクリシュナ・パラマハンサ